トップとは4打差 メリオンを知るR.ファウラー
ペンシルベニア州フィラデルフィア近郊にあるメリオンGCで「全米オープン」が開催されたのは、今年が32年ぶり5回目。ウィッカー・バスケットがグリーン上のピンとなる名門は、ボビー・ジョーンズが1930年にグランドスラムを達成、ベン・ホーガンが49年の交通事故の翌年に復活優勝を飾るなど、歴史に残る勝利が重ねられてきた場所だ。前回の1981年大会は、デビッド・グラハムが優勝。ちなみに日本勢では、ジャック・ニクラスとの“バルタスロールの死闘”を前年に演じた青木功が、11位タイでフィニッシュしている。
その32年前、当時の一戦に出場していた選手は、今回はいない。それでもメリオンでは近年、2005年に「全米アマチュア選手権」が、09年には「ウォーカーカップ」が開催されている。そして今年、最終日を首位のフィル・ミケルソンに4打差の3オーバー9位で迎えるリッキー・ファウラーは、その学生時代の対抗戦で輝かしい戦績を残したプレーヤーだ。
ファウラーはオクラホマ州立大時代、米国代表の一員としてこのウォーカーカップに出場。チームに4戦全勝でポイントをもたらし、欧州代表を破った。そして直後にプロ転向。ツアーに新しい風を吹き込ませた。
当時のメリオンを振り返るファウラー。「あの時とは特にラフが違う。フェアウェイやバンカーもね。ただ、グリーンはもっと硬かった」。「でもやっぱりウォーカーカップの時の方がはるかに易しいセッティングだったよ。チームでたくさんバーディを獲ったからね」。トップクラスの選手が集結する世界最高の“テスト”とは、やはり勝手が違うという。
それでも、記憶は心の拠り所でもある。「ここでいいプレーができたことは、すごく助けになってるんだ。たくさんパットを決められたことを覚えてるしね。今週、最も大事なことはとにかく我慢を続けて、焦らず、事態を受け入れること。今日は最後までそれができた」。
周囲がこの日、ファウラーを称賛したのはその我慢。第3ラウンドのプレーをともにしたロバート・カールソンは「86」の大崩れ。セルヒオ・ガルシア(スペイン)は後半に巻き返し「75」だったが、15番でティショットを3度OBゾーンに打ち込み、10打を叩く荒れ模様だった。その一方で、4バーディ、1ボギーの「67」はこのラウンドのベストスコアをマークしたのだった。
残りは18ホール。経験と度胸を武器に、難コースだけにもちろん逆転の可能性を探っていく。(ペンシルベニア州アードモア/桂川洋一)
■ 桂川洋一(かつらがわよういち) プロフィール
1980年生まれ。生まれは岐阜。育ちは兵庫、東京、千葉。2011年にスポーツ新聞社を経てGDO入社。ふくらはぎが太いのは自慢でもなんでもないコンプレックス。出張の毎日ながら旅行用の歯磨き粉を最後まで使った試しがない。ツイッター: @yktrgw