2013年 ウェイストマネジメント フェニックスオープン

PGA Tour Rookie / Ryo Ishikawa(5)石川遼が取り戻せないもの

2013/02/03 13:03
大観衆が見守る中、16番パー3でロングパットを沈めバーディを決めた石川遼。心を躍らせた瞬間だった。

米国男子ツアー(PGATOUR)本格参戦初年度。石川遼の滑り出しは、少なくとも結果の上では最悪のものとなった。1月第3週の「ヒュマナチャレンジ クリントンファウンデーション」に始まり、「ファーマーズ・インシュランスオープン」、「ウェイストマネジメント フェニックスオープン」と3試合連続で予選落ち。賞金、そして今季からシード権争いの指標となるフェデックスカップポイントも、もちろんゼロだ。

「結果を残せなかったのは非常に残念です」。屈辱の“3連敗”を受け、石川は言った。しかし「迷いはない。淡々と続けていくことしか自分には出来ない。こうやれば結果が出るっていうのは誰もわからない」とも続けた。もちろんそうだ。確実な勝利の方程式など勝負事には、まず無い。しかしこの3試合、予選カットラインとの差は初戦から7ストローク、4ストローク、7ストロークといずれも大きなもの。加えて言えば、どの大会においてもジェイソン・デイバド・コーリーといった同伴競技者が初日に出遅れを見せながらも、巻き返して決勝ラウンドのチケットをもぎ取った姿もあり、余計に寂しさは際立った。

ツアーカードを取得したのだから、ここを主戦場とする資格と技術はもちろんある。ただ今回の3試合で印象的だったのが、“ツアーメンバー1年生”としてのフレッシュさ、新しいステージに立った瑞々しさに欠けている石川の姿だった。こちらが勝手に期待していたので、もちろん彼に落ち度はない。とはいえ、それは本人にも自覚がある。正式メンバーとなった心境を「特に変わったことは無い。自分の中でPGAツアー自体の見え方、雰囲気が変わったところはない」と言った。2009年にスポット参戦してから、昨年まで実に40試合以上出場してきた米ツアー。新鮮味がないのも当然と言える。

そんなものは戦う上で邪魔になるのかもしれない。しかし、石川は特定の大会に向けて調整をしたり、過大なモチベーションを傾けていくタイプではない。2009年に初出場した「マスターズ」の時には約1か月前にスイング改造に着手し、周囲を驚かせた。そして今年も長期的な展望を持って、シーズンイン直前に新スイングに取り組んでいる。目標に向けて最短距離を走るためには、目先の結果にはこだわらない。そういった石川の、父子の考えはいまも変わらないだろう。ただ、だからこそ、いつも変化のない心境で連戦を“惰性”のまま戦ってしまう危険性もないだろうか。「次の試合で頑張りたい」と言えるのが、シード権を持つツアーメンバーの特権。だが、思わしい結果を残さなければ、来年以降の保証はない。いつまでも「次」は無い。

「ウェイストマネジメント フェニックスオープン」で予選落ちした2日目の16番。ホールの周囲がすべてギャラリースタンドとなっている名物パー3で、ティショットを放つ前に石川の表情には、かすかに笑みが浮かんだ。前日はミスショットで大ブーイングを浴びていた。しかし「改めてPGAツアーは良い舞台だなと思いました」と、そこで戦える喜びをかみしめるように口元を緩めていた。

しかし今後、石川にはこんな風に興奮を掻き立ててくれるシーンや、「絶対にここから振り落とされたくない」というガムシャラな気持ちを芽生えさせてくれる機会は、大半のツアールーキーに比べて少ない。ツアートーナメントを戦ってきた経験は豊富だが、なにせ彼は「試合に出たくても、出られない」という経験は圧倒的に少ない。昨年、“スペシャルテンポラリー・メンバー”に昇格し、推薦出場の試合数制限が撤廃された際、すぐに参戦を打診したトーナメントもあった。本人はある意味で不本意な思いもいっぱいだろうと推察するが、今年の「マスターズ」の出場権すら既にあるのだから。

さらなるハングリー精神を掻き立てるのは、何か。それはコースを離れたところ、意外と日々の生活や、オープンウィークの過ごし方といった、身近なところで見つけられる可能性もある。ツアーに生き残るために、不利にも働きかねない、豊富な試合経験。悲しきかな、21歳にして向き合うべき課題のひとつとなるかもしれない。(アリゾナ州スコッツデール/桂川洋一)

■ 桂川洋一(かつらがわよういち) プロフィール

1980年生まれ。生まれは岐阜。育ちは兵庫、東京、千葉。2011年にスポーツ新聞社を経てGDO入社。ふくらはぎが太いのは自慢でもなんでもないコンプレックス。出張の毎日ながら旅行用の歯磨き粉を最後まで使った試しがない。ツイッター: @yktrgw

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