2016年 ダンロップ・スリクソン福島オープン

トミーとマサ レジェンドの父を持つということ

2016/07/22 20:26
中嶋常幸の愛息・中島マサオが3季ぶりにレギュラーツアーの週末へ

偉大な父との距離感は年月をかけて変化してきた。福島県で開催中の「ダンロップ・スリクソン福島オープン」で、中嶋常幸の長男・中島マサオが国内ツアーで3年ぶりに決勝ラウンドに進出した。今週月曜日の予選会を通過して本戦に出場。2日目に6バーディ「66」をマークし、通算5アンダーの28位タイで週末に入る。

「そんなになりますかね…」。最後に予選を通過した2013年「フジサンケイクラシック」の記憶はすっかり薄れていた。レギュラーツアーで迎える久々の週末。ただそこに中島は「ホッとする…というのは感じていないですかね。自分はリランキングの対象でもない。試合自体が久しぶりですから」と満足感を示さなかった。

2009年シーズンを最後に賞金シードから遠ざかり、近年は下部ツアーが主戦場。今季はまだ賞金を稼げないでいる。ただ、今年の春は中島にとって、ある意味で転機だったという。「4月くらいにきっかけがつかめて。今までにないくらい、ゴルフがしたい、したくて仕方ないという気持ちになった」。きっかけの詳細については「言わない」が、ひとりでキャディバッグを担いでコースに出て、その感触を確かめる毎日を送っている。

レギュラーツアーで今季2試合目の出場となった今週は、5月の「関西オープン」に続いて父と練習ラウンドを行った。「関西オープンで一緒に回ったのが、すごく久しぶりだった。3年は経っていたと思う」。昔から、お互いのプレーについて話すことはほとんどない。ただ、ゴルフに対して再び前向きになれたことで「自分の気持ちが変わって、親父と回るのも良いかなあと思えるようになった」そうだ。

ところで中島家の場合、多くの父子関係と少し違うのが「父親に反抗したことは一回もない」というところ。あふれんばかりの愛情で、優しく育てられた…というのとはまた違うらしい。理由は明快。「だって昔はめちゃくちゃ怖かったから。80年代、90年代…バリバリの時なんかもう…勝負師で」。たとえ優勝しても、プレー内容に不満があれば、いつも不機嫌だった。コースを離れても四六時中、ゴルファーだった。

尾崎将司が優勝した1988年の「日本オープン」(東京ゴルフ倶楽部)でAONが並んだ表彰式の画像を目にすれば、背筋が凍りそうな当時の緊迫感がよみがえるという。時は流れ、2012年に沖縄で行われた「日本オープン」(那覇ゴルフ倶楽部)で、AONはそろって記者会見を行い、絶妙な掛け合いで会場を沸かせた。その映像を見た息子は、実感したという。「(3人とも)ニコッとして…時代はこうして変わるんだなあ」

ただそれでも、レジェンドの、父の実力はいまも見劣りしないという。「例えば飛距離でも、この前の日本プロでも片岡大育くん、谷口徹さんよりも前に行ったと聞いた。今週の練習でも、自分よりも常に前にいた。火曜日も、水曜日も、ハーフではなく1ラウンドずつ練習ラウンドをした。体力的にも衰えていない証拠だと思うんですよね」。

だからこそ、全盛期のときとはまた違う尊敬の念が湧いてくる。「自分はことし37歳になる。若い時とは感じ方が違う。親父のそういうのは刺激になりますよ」。衰えることのない、自分を磨き続ける強さ。中島はそれを30年以上見続けてきたのだから。

父が通算3オーバーで予選落ちしたこの週末だけに、ツアー復帰の望みをかけようとは思わない。そんなに甘いものではないことも知っている。「いまはQTに気持ちが向いている。もちろん良い順位で終わりたいけれど、何よりも自信を取り戻したい」。ひっそりと手に入れた決勝ラウンドへのチケットを無駄にはしない。(福島県西郷市/桂川洋一)

■ 桂川洋一(かつらがわよういち) プロフィール

1980年生まれ。生まれは岐阜。育ちは兵庫、東京、千葉。2011年にスポーツ新聞社を経てGDO入社。ふくらはぎが太いのは自慢でもなんでもないコンプレックス。出張の毎日ながら旅行用の歯磨き粉を最後まで使った試しがない。ツイッター: @yktrgw

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