神童がイタリア初のメジャー王者となるまで
1995年「全英オープン」でコンスタンティノ・ロッカがセントアンドリュースで見事なロングパットを決めたとき、ついにイタリアから初めてメジャー王者が誕生するかに見えた。ロッカが決めた20mのパットにより、優勝の行方はジョン・デーリー(米国)とのプレーオフに委ねられたが、最終的にはデーリーが勝利をものにした。
しかしながら、ロッカの偉業(それは1997年「ライダーカップ」のシングルスでタイガー・ウッズを撃破した一戦を含む)は、フランチェスコ・モリナリにゴルフというゲームは何でも可能であると鼓舞するのに十分だった。
そして23年後。ついにイタリアからメジャー王者が誕生した。
ロッカがクラレットジャグ獲得まであと少しのところまで迫るなか、モリナリと彼の兄であるエドアルドは、すでにイタリアゴルフ協会によりその存在が知られていた。
トリノで生まれた兄弟は、イタリアのユースとアマチュア組織のなかで頭角を現し、「イタリアアマチュア選手権」で2勝を挙げたフランチェスコは2004年にプロへ転向した。
同年、欧州ツアーのQスクールをプレーしたフランチェスコは、グレンイーグルスでトップ10入りしたことで、ツアーでのルーキーイヤーを始動させる。しかし、そのスコットランドのコースは後年、現在35歳の彼にとって失望の場となることになった。
2006年に彼にとってのナショナルオープン「イタリアオープン」で欧州ツアー初勝利を挙げると、すぐにツアーきっての安定した選手の一人という評価を不動のものにする。
さらに香港とポルトガルで2位に入るなどトップ10入りを9度記録した2009年は、エドアルドと組んで出場した「ワールドカップ」でイタリアに優勝をもたらす。19試合連続予選通過を果たした2010年は、同年の「ライダーカップ」欧州代表に選抜された。
同大会には兄のエドアルドもコリン・モンゴメリーによるキャプテン推薦で出場を果たし、ペアを組んだ兄弟はフォアボールで0.5ポイントを獲得。欧州代表の14 .5対13 .5という勝利に貢献した。
2010年11月、フランチェスコは「HSBCチャンピオンズ」でリー・ウェストウッドとの激戦を制し、世界ゴルフ選手権で初制覇を遂げた。さらに、当時はマッテオ・マナッセロの台頭もあり、イタリア人選手によるメジャー制覇は時間の問題かに思えた。
その後、2012年「ライダーカップ」に2大会連続で出場したフランチェスコは、ロッカの足跡を辿ることになる。ウッズとの対戦となったシングルスで欧州代表に0.5ポイントをもたらすと、最後はマルティン・カイマーが勝利を決めた“メダイナの奇跡”を起した一員となった。
しかしながら、2012年の「スペインオープン」を最後に、4年間優勝から遠ざかることになる。その間、グレンイーグルスで開催された「ライダーカップ」出場を逃し、2016年こそナショナルオープン2勝を挙げた初のイタリア人選手となるも、彼の計り知れない才能は開花することなく終わってしまうのではないかと囁かれ始めた。
しかし昨年、クエイルホローで開催された「全米プロゴルフ選手権」でジャスティン・トーマスと優勝争いを繰り広げた末にメジャー自己ベストの2位タイに入り、メジャー王者となるだけの器の持ち主であることを見せつけた。
卓越したパッティングの技術と比類なき精度のアイアンを武器に、2018年の春に目覚ましいパフォーマンスを見せる。週末をノーボギーで回った「BMW PGA選手権」では、ロリー・マキロイを退けてトロフィーを掲げた。
その後、「全米オープン」でトップ25入りを果たすと、「クイッケンローンズ・ナショナル」では2位に8打差をつけて米PGAツアー制覇を飾り、さらに「ジョンディアクラシック」で2位に入ってカーヌスティでの戦いに備えた。
「全英オープン」では安定したプレーで優勝争いに絡むと、最終日はここでもウッズと同組となる運命の巡り合わせとなった。
メジャー14勝のウッズがフロントナインで首位に躍り出る展開となるなか、モリナリは冷静にパーを積み重ね、14番と難関の18番で決定的なバーディを奪った。
イタリア人のメジャー王者は、キャリア最高の瞬間を迎えた直後、謙虚にロッカ、そして自身の家族やコーチたちに敬意を表して感謝した。
「このような達成は別次元のものです」とモリナリ。「僕が1995年にコンスタンティノ(ロッカ)が惜しくもセントアンドリュースで優勝を逃したのをテレビで観ていたように、願わくば、今日は多くの子供たちがテレビでこの試合を観ていてくればと思います」。
待つだけの甲斐がある勝利であった。