スチュアート追いつけず ジャンセンが逆転の大勝利
ペイン・スチュアートは1991年のオープンチャンピオン。リー・ジャンセンは1993年のチャンピオン。奇しくも2人のチャンピオンが1998年を闘った。
それは12番での不運から始まった、と言えるかれしれない。これまで運の神様が微笑んでくれていたペイン・スチュアートのボールは小さなディボット跡の中に転がりこんでいた。確率としては、当然ありうることで、さして不思議なことではない。しかし3日間の長きにわたってツキが味方していた男が、初めてであった不運。初めてさした小さな影。そういってもおかしくない。
ライの良いフェアウェイどまんなかから打ってもパーをとるのが極度に難しいオリンピッククラブだ。どんなにスチュアートが名手であっても、こうしたアンラックのホールではボギーもやむを得ないだろう。もちろん、かぶせて巧く打った。しかし、ボギー。
続く13番、あっさりボギー。ついに67ホール目でオーバーパーの世界に突入。イーブンとしていたジャンセンに初めて首位を明け渡した瞬間だった。
しかし、まだ粘る。14番のフックラインを入れてまたイーブンに戻す。15番は打ち切れずパー。16番ロングでティショットを右ラフに入れ、3オンもできずボギー。モンスターのような最難関の17番を絶妙のパーにしたが、もう遅かった。すでにホールアウトしたジャンセンに決定的な1打の遅れ。18番でバーディを取る可能性はもちろんあったが、それを望むのは酷というものだろう。ラインに乗ったボールはカップのわずか手前で左に切れた。
「悔しい。自分のゲームができていると思っていた。しかし少しずつ少しずつ狂ってきた」と憔悴しきった表情のスチュアートだった。
リー・ジャンセンという人も、日本ではあまり馴染みがない。1993年のオープンチャンピオン(実はこのときもランナーアップとなったのはスチュアートだった!)とはいえ、その後は94年にビュイック、95年はプレイヤーズ選手権など3勝。ここからぷっつり勝利がない。自他ともに認める実力はあり、強いのだが、なかなか勝てない男だった。
ジャンセンは2番3番で連続ボギー。しかし彼の場合は4番から幸運がひらひらと頭上に舞いだした。木にあたったボールがフェアウェイに戻る。トロトロ転がったボールが最後で90度曲がってぽとりと入る。最後の一転がりで入る。そんなパターンが続いてのバーディ、バーディ。苦手の17番もぎりぎりのショットがうまくキックしてくれての2オン成功。
「こういうコースは自分むきなんだ。過去にもこのオリンピックでの試合ではいい結果を残してきた」というジャンセン。難しいコースをコツコツ攻める。コツコツ攻めて、めぐってきた僅かのチャンスを最大限に生かす。そういうプレーが性にあっているのだろう。
単なる運だけでオープンに勝てるものではない。しかし運のない選手がオープンを制覇することは絶対に不可能だ。「壮大なる負け残りゲーム」といわれるサバイバル全米オープン。最後まで負けずにイーブンパーをキープした地味な男が大きな優勝カップを握りしめた。
(サンフランシスコ・佐藤直樹)