【五輪コラム】オリンピックこそ最高の舞台 Part.1
ディフェンディングチャンピオンはカナダ人
112年ぶりにゴルフが五輪に復帰した。このニュースを聞いて、私が最初に思い出したのはカナダ・トロント郊外にあるグレンアビーゴルフコースを訪ねた時のことである。「カナディアンオープン」の開催コース、グレンアビーGCはジャック・ニクラス設計でゴルフ場のシンボルマークは修道士がクラブを振っているというユニークなもの。コース後半は渓谷を流れる清流に沿い、1990年代は秋に大会が開かれており、北国カナダの紅葉の中で行われていた。
このゴルフ場に修道院を改修した石造りの博物館があり、ここがカナダのゴルフ殿堂だったのだ。展示品の中に貴重なものがあった。「ゴルフのディフェンディングチャンピオンは永遠にカナダ人なり」と記され、金メダルではなく、トロフィーが陳列されていた。
五輪におけるゴルフ競技開催は1900年の第2回パリ大会と、1904年の第3回セントルイス大会だけである。その第3回大会の個人戦優勝者がカナダ人のジョージ・ライオンという方で当時46歳。カナダのアマチュア選手権を計8回獲っていた。団体戦も行われており、チャンドラ・イーガンというアメリカ選手は個人2位、団体優勝したメンバーだった。
ただ、調べてみると当時の五輪は7月1日から11月23日までで、参加国も13カ国。現在の16日間で全競技が集まって行う総合体育大会とは似て非なるものと考えていい。現在のスタイルから言えば、リオデジャネイロ五輪がゴルフの幕開けと言えなくはないだろう。
何かが起きる金メダル
スポーツの素晴らしさは「筋書きのないドラマ」いう言葉に集約される。栄光、悲劇、失意、歓喜、美と様々だ。夏冬8回の五輪実況中継で、私は日本人による11個のメダル獲得を伝えてきた。中でも金メダル獲得のシーンは“宝物”と言えるだろう。
「勝った!金メダル!55秒05、55秒05!鈴木大地、金メダル!」1988年、韓国ソウル五輪の鈴木大地、現在のスポーツ庁長官による大逆転金メダル、これは予想も出来ないことだった。鍵は「銀メダルはいらない。金だけだ。4年前のロサンゼルスの悔しさを忘れたことはない」という壮絶な意気込み。前回のロサンゼルス五輪で決勝に残れずスタンド観戦した無念、「出るだけでは駄目だ。戦いたい」。大地を指導し続けた鈴木陽二コーチは決勝レースに向けてこう言って送り出した。「大地、お前は天才だからな」。
残り15メートルで奇跡は起きた。大地・金メダルのデザインは私の中には描けなかった。あと15メートルからの大逆転、「大変だ、大地が勝ってしまう!」
「大地、追ってきた!追ってきた!逆転したっ!」
五輪は世界記録保持者が勝てるとは限らない。その日、その時に生きた者に栄冠が輝く。
4年後のバルセロナ五輪、14歳6日での岩崎恭子の金メダルは「ミラクル」としか言いようがない。世界記録保持者のノールは3位だった。ゴルフの世界ランキングで言えば、岩崎恭子はギリギリの出場だろう。
「あと10メートル、岩崎、ピッチが上がった、さあ、チャンスだ、もうメダルは間違いない。さあ、どうだ!逆転した。逆転した。勝ったぁ!岩崎恭子、金メダル」
“人生で一番幸せな日がオリンピックだった”という選手は数少ないと言えるだろう。
この2つの金メダルは、大変申し訳ないのだが、予想出来ずに放送席に座っていた。「よそう」は反対から読むと、「うそよ」になる。嗚呼。
冬の長野五輪のスピードスケート・清水宏保の金メダルは実力者がランキング通りに勝ったケースだろう。「金メダル、清水宏保、おめでとう、そして、ありがとう」とアナウンスしたのは、「予想通りの稀有の結果でほっとした」という私の心境だったのかも知れない。
■ 著者プロフィール/島村俊治(しまむらとしはる)
1941年生まれ、東京都出身。早稲田大学政経学部卒業後、1964年にアナウンサーとしてNHKに入局。夏・冬合わせて8回のオリンピックを実況した。鈴木大地(88年ソウル)、岩崎恭子(92年バルセロナ)、清水宏保(98年長野)らの金メダル獲得を伝えた。全米オープン、全米女子オープンなどのゴルフ中継にも携わり、2000年にNHKを定年退職。現在、スポーツジャーナリストとして精力的な活動を続けている。