プレーオフ滑り込みの石川遼 “持ってる男”伝説を振り返る
石川遼が米国男子ツアーのシーズン最終戦という土壇場で、今週の「ザ・バークレイズ」から始まるプレーオフ進出を決めた。圏外となった選手とのポイントは“コンマ差”で、まさに滑り込み。追い込まれたときの勝負強さを発揮した形だが、「持っている男」ぶりも改めて感じさせた。その伝説の一端を振り返ってみた。
■15歳でツアー史上最年少優勝
杉並学院高(東京)1年時、2007年5月の「マンシングウェアオープンKSBカップ」で優勝。ツアー初出場だった。初日が強風のため中止となり、最終日が36ホールという長丁場になった。最終(第4)ラウンドの17番(パー3)では、ティショットを引っ掛けて左サイドのバンカーへ。下り傾斜の難しいライからショットを振りぬくと、グリーンに落ちたボールはそのままカップに吸い込まれ、バーディ。1打差で勝利をもぎ取った。15歳245日での優勝は世界主要ツアーの最年少記録を更新し、ギネスブックに認定された。優勝インタビューでアナウンサーが口にした「ハニカミ王子」のニックネームとともに、社会現象ともいえるフィーバーを巻き起こした。
■17歳でプロ初優勝
2008年11月の「マイナビABCチャンピオンシップ」最終日、深堀圭一郎を3打差で追い最終組でスタート。首位に並んで迎えた16番で8mを沈めてバーディを奪い、ボギーを喫した深堀を逆転した。18番(パー5)では、ティショットを左斜面のラフに入れた。池を挟んでグリーンエッジまで170yd。7Iで果敢に狙ったが、わずかに届かず池に転がり落ちた。ウォーターショットでピン左3mに寄せると、大ギャラリーの歓声は最高潮に。2パットでパーとし、18番をバーディとした深堀を1打差で振り切った。
■+5→イーグルで全英出場権
2009年6月の「~全英への道~ミズノオープンよみうりクラシック」最終日を3打差の首位でスタートした。12番で1打目を左に大きく曲げOB。打ち直しも同じくOBとし、パー4で9打をたたき、1ホールで5打落とした。絶体絶命-。しかし、パー5の16番で2打目をグリーン奥のラフへ運ぶと、SWでの30ydのチップショットはテレビ解説で「ちょっと強いかな」という声も出る中、カップへ一直線に転がり、ピンに当たって沈みイーグル。最終的に3打差でシーズン初優勝を飾り「全英オープン」への切符も手にした。全英では予選落ちした。
■18歳で史上最年少賞金王
プロ転身2年目の2009年、年間4勝を挙げて賞金王に輝いた。池田勇太とのし烈な賞金王争いはシーズン最終戦までもつれ込んだが、池田が優勝を逃したことで決着した。この年獲得した賞金総額は1億8352万4051円。国内ツアーでは1973年に尾崎将司が記録した26歳、米国ツアーでは1997年にタイガー・ウッズが記録した21歳を上回り、史上最年少での賞金王となった。それまでの国内歴代賞金王の平均年齢は、選手が円熟期を迎える36.5歳。18歳での賞金王獲得は衝撃のニュースだった。
■史上最少ストローク「58」を記録
首位と6打差の18位で迎えた2010年5月の「中日クラウンズ」最終日。4つ伸ばした後の6番で、ラフからの2打目をグリーン奥にこぼしたが、15ydをSWで直接決めてバーディ。「ターニングポイントだった」と振り返る通りに勢いづき、8番から4連続バーディを奪った。14番ではカラーからパターで10mを沈め、15番(パー5)では残り45ydからの3打目をピンそば1mにぴたり。左ドッグレッグの16番ではティショットを刻まず、3Wで狙い通りグリーン手前のバンカーへ。そこから1mに寄せて3連続バーディとした。パー70の名古屋ゴルフ倶楽部和合コースで12バーディノーボギー。世界主要ツアーの最少ストロークを更新し、2度目のギネス認定となった。
■卒業文集
中学2年で日本アマ出場、高校1年でプロツアー優勝、高校3年時に日本オープン制覇、海外ツアー参戦、マスターズの制覇…。これは小学校の卒業文集で当時12歳の石川が記した「将来の自分」だ。その後、まるで計画表だったかのようにこれらの実現に近づいていく。2006年(中学3年)に日本アマ出場。07年には高校1年でプロツアー初優勝。日本オープンでは08、09年(高校2、3年)と2年連続で2位に入った。23歳の現在は、米国ツアーに参戦している。「夢です」と書いたマスターズ優勝は、まだ遂げていない。