キャリア最悪の故障を経て臨む、松山英樹の2015年マスターズ
<甘くなかった…2014年マスターズ>
松山英樹の名前を、世界に最初に知らしめたのが、2011年「マスターズ」だ。前年の「アジアアマチュア選手権」を制して踏み入れたオーガスタナショナルGCでローアマチュア(27位タイ)を獲得した。翌12年は最終日に「80」を叩いた不甲斐なさから、悔しさのあまり涙を流したが、きっちりと4日間(54位タイ)をプレーした。
しかし、キャリアで3度目、プロとして初めての出場となった14年。心境は過去2回と大きく違った。
「オーガスタの前に、自分のゴルフについて『ちょっとヤバいかも…』と思っていたんです。新しく、飯田(光輝)さんにトレーニングを見てもらうようになって、オーガスタに合わせて『こういう球を打ちたい』と取り組んできた」
実戦で使うアイアンのシャフトをわずかに長くして、高いボールを打とうと調整を始めたのも年明けから。
「でも手が痛い、背中が痛い。そういう球を打てる状態ではなかった。自分が求めているものとは、程遠い内容でオーガスタに行った」
結果は初日「80」の大叩きから、屈辱の予選落ち。
「やっぱり甘くないなあって。そんなに甘い世界じゃないなと思いましたね」
松山はこのマスターズの前に約1カ月間、日本に帰っている。東北福祉大の卒業式にも出席した。周囲には“試合感覚”の欠如を指摘する声もあったが、本人に後悔は今もない。
「自分の中では『卒業式だから帰ろう』という考えはあまりなかったんですけど、その前に3カ月、米国にいた。それだけ日本を離れていたのは初めてだった。だから一度帰ってリフレッシュするのもいいのではと考えた」
「『試合勘が大切』といわれるけれど、僕がアマチュアの時、マスターズの前にいつから試合に出ていなかったのかという話(編注:マスターズ前に出場したのは 11年、12年ともに3カ月前のソニーオープンinハワイ)」
「だから、プロになったからといっても関係ないと思う。確かに毎週プロでやってきた選手の考えでは、そうなのかもしれない。でも僕は去年、1年目でやっと毎週プレーするようになった。プロ転向して1年にも満たないのに体はそんなに変わらないと。自分の感性って、そんなに変わるものではないと思うんですよ」
立場をアマチュアからプロに変えても、ゴルファーとして変わらない自分がいてこそである。