キャリア最悪の故障を経て臨む、松山英樹の2015年マスターズ
<2014年末・松山英樹単独会見(3)「年末年始は息抜き?ふん、抜けるわけない」>
2014年6月1日。日本ゴルフ界の行く手を阻んできた重い扉が、音を立てて再び開いた。オハイオ州ミュアフィールドビレッジGCで行われた米国男子ツアー(PGATOUR)、「ザ・メモリアルトーナメント」で松山英樹が初優勝を飾った。激動の1年を終え、新年を迎えるその胸の内は?全3回のGDO単独インタビュー最終回は、14年序盤に苦しんだ故障への癒え、2015年メジャー初戦「マスターズ」へと向かう意気込みを語った。
松山は中学生時代に右手首を骨折したことがある。高校生の時にも腰痛を経験するなど、体の成長過程で、いつも故障がつきまとった。
だが2014年の序盤戦で影響が色濃かった左手親指付近の痛みは「ゴルフに影響したという意味では、今までで一番大きなけがだったかなと思う」という。
「痛みが一番ひどかったのが去年のカシオワールドオープン(2013年賞金王を決めた国内ツアー)の時だった。その2週間前に同じところを先に痛めていた藤本(佳則)さんと一緒に回って、『痛そうやなあ…』と見ていたんです。そうしたら次の週(ダンロップフェニックス)の最終日、自分が痛くなって…。『あれ?』と思ったら、カシオの時にはもう手遅れだった」
「賞金王を獲れたのも、“流れ”でしょうね。『ここで勝つしかチャンスはない』と思って頑張った。最終戦が残っているのに、試合後のインタビューで『1年間ありがとうございました!』って言ってしまって…。『あ!やべえ!』と思いましたもん」
翌週の最終戦「日本シリーズJTカップ」以降、年内の出場イベントはすべてキャンセル。限界を超えていた。
「だから今年に入る時点での痛さも分かっていたんです。感覚がなかった。でも、確かに痛かったけれど『すぐできるようになるだろう、ゴルフも調子良くなってくるやろう』と簡単に考えていた。それが…どんどん簡単に考えられなくなっていった」
新年最初の試合となるはずだった1月の「ソニーオープンinハワイ」は開幕前日に欠場を決断。痛みを抱えたまま、米ツアーフル参戦1年目に突入していった。