2012年 マスターズ

石川遼“20歳のマスターズ” vol.3 ~2011年 未知の決勝ラウンド~

2012/03/27 17:39

2011年 初の決勝ラウンド進出「これで終わりではない」

3度目の「マスターズ」出場で初の予選突破を決めた石川遼(Jamie Squire/Getty Images)

杉並学院高校を卒業し、学生プロゴルファーという立場ではなくなった石川には、2010年もその勢いにかげりは見られない。衝撃を与えたのはマスターズから帰ってわずか数週間後のこと。「中日クラウンズ」で最終日に「58」を叩きだし、世界6大ツアーの18ホール最少ストローク記録を打ちたてた。同大会のほか、「フジサンケイクラシック」、「三井住友VISA太平洋マスターズ」を制覇。2年連続の賞金王は、キム・キョンテ(韓国)に阻まれたが、年末の世界ランキングは36位。しっかりと3年連続のオーガスタでのプレーを確約したのだった。

この11年に、日本勢で夢舞台に足を踏み入れたのは、石川のほか池田勇太藤田寛之といった賞金ランク上位のプロたち。そして東北福祉大の松山英樹が「アジアアマチュア選手権」を制してアマとして日本人史上初の出場を果たす。石川と同学年の新たなライバルの出現、それもひとつのトピックスだった。

ところが同年3月11日、日本国内は東日本大震災に見舞われた。石川は当時フロリダ州で米国男子ツアーに参戦中。そして数週間後、同年のメジャー4試合、国内ツアーで獲得した賞金全額、および獲得バーディ数に応じた金額を義援金とすることを発表した。そのニュースは世界のゴルフシーンを駆け巡り、もちろんマスターズでも大きな関心を呼んだ。

そんな中、石川は初日4バーディ、3ボギーの「71」とオーガスタで初めてアンダーパーをマーク。1アンダーの24位タイと上々のスタートを切った。「今年は皆と一緒に、横に並んでプレーしている感じがする」と過去2年の自分に比べ、精神的にも優位に立っていた。そして“3度目の正直”を誓って出た2日目も、培ってきた自信は揺るがない。迎えた16番(パー3)。ティショットは、ピン手前2メートルにつけた。バーディこそ逃したものの、2年間、眠りを妨げてきた悪夢を振り払った。2日連続の「71」。通算2アンダーの20位タイで決勝ラウンドに進出を果たした。

初の「マスターズ」決勝ラウンドで多くの課題を得た石川遼。夢舞台の1つ1つの経験が新たな糧となる(Harry How/Getty Images)

ついに最初の目標をクリアした石川だったが「これで終わりではないし、これからが勝負」とその喜びに全身が浸ることは無かった。初の決勝ラウンドも3日目「73」、そして最終日は「70」と安定したスコアで4日間を通算3アンダー20位タイ。出場した日本人選手の最高位の成績だった。

だが3日目のプレーには自らに課題を突きつける。予選を通過したプレーヤー全員が目の色を変えてチャージにかかったムービングデー。その波に加われず「アグレッシブに攻め切れなかった」と唇をかんだ。やっとつかんだ成果、そこから生まれた新たな反省。抱えきれないほどの収穫を手にして10代のマスターズを戦い終えたのだった。

そして充実感に満ちたその最終日、日本ゴルフ界はもうひとつの喜ぶべきニュースに湧いた。松山が日本人初のローアマチュア賞を獲得。首位を走っていたロリー・マキロイ(北アイルランド)が失速した直後の、サンデーバックナインの混戦を制したチャール・シュワルツェル(南アフリカ)とともに、感動の表彰式に出席した。

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