金谷拓実と「日本オープン」 競り勝った池田勇太のプロ魂/ゴルフ昔ばなし
今季国内メジャー初戦「日本オープン」(千葉・紫CCすみれC/15日~18日)。戦いの火ぶたが切られました。ゴルフライターの三田村昌鳳氏とゴルフ写真家・宮本卓氏による対談連載は、これまでの大会の歩みを特集してきました。本編最終回となる今回は今月2日にプロ宣言した“ニューフェイス”、金谷拓実選手の持つ素顔について語ります。
■内面からあふれ出す金谷の闘志
―1998年生まれの金谷が「日本オープン」に初出場したのは、「日本アマチュア選手権」を最年少の17歳で制した2015年のこと。予選ラウンドを終えてトップの小平智と2打差2位につけ、第3ラウンドを最終組でプレー。最終的に11位で終えますが、17歳148日でのローアマ獲得は37年ぶりの最年少記録更新となりました。
宮本 金谷はジュニア時代からアグレッシブなプレースタイル。プロツアーに出ていても、外見は落ち着いているようで、コンサバティブな“アマチュアチック”な選手とは違っていたね。被写体としてもプレーぶりは何年も前からアマという感じがしなかった。
三田村 中高生時代から彼は2つ年下の中島啓太(日体大2年)と活躍し、ナショナルチームも引っ張ってきた。以前、2人が対談したときに、僕が「金谷選手はいつも冷静だね」と聞くと、中島が「いやいや、金谷さんは海外で戦っているとき、ものすごくカッとなっていますよ」って。いわゆる、“内面の燃焼”がものすごい。顔つきに出ないにしても、そういう闘志がないとここまで来られない。持っているエネルギーがすごいのでは。
宮本 2018年の「アジアパシフィックアマチュア」で優勝して、昨年「マスターズ」に出場した。松山英樹同様、オーガスタナショナルGCの決断はとくにアマチュア界を大きく変えた。トップアマの世界は各選手にライバルがいて、「こいつには負けたくない」という勝負を繰り返して育っていくものだったけれど、「マスターズに出られる」という明確な目標が生まれたのは大きい。
三田村 ナショナルチームでの生活ぶりでは、金谷は“無頓着”なところもあったみたい。食生活ではストイックな中島に教えられることもあったとか。ただ、目指しているものは明確。「プロになったからどうする」、「勝ったからどうする」と、その時々でターゲットを変えるわけでもなく、どんな状況でもスキルアップしていければ、やがてゴールに到達できるんじゃないかという考えが強い。
宮本 飛距離が特別出るタイプではなく、プロとしての魅力もこれから発掘されていくはず。肉体的にも伸びしろがある。ポテンシャルを考えれば、可能性はすごいと思う。松山も世界で戦うにつれて体も大きくなって、ステージを上げていったわけだし。
■プロとしてのプライドを見せつけた池田勇太と敗れた金谷
―「日本オープン」で金谷は3回ローアマチュアに輝きました。とくに2回目の2017年大会、岐阜関CCでは優勝争いを演じました。最終日最終組に入り、池田勇太とのスタート時の5打差を、前半で1差にまで縮めましたが、結果は1打足りず2位の惜敗でした。
三田村 勇太としても、アマチュアの金谷には「絶対に負けられない」と思っていた。「俺はこれで負けたらプロを辞める。これを負けるということは日本のプロゴルファーが否定されることだ」という決意が強かった。絶対に勝ってみせる、と。実際に勇太は攻め続けた。最終18番も1Wを握り続ける攻めのプレーを見せた。対する金谷は「ルーティンどおりに」と多くのホールで刻む選択をした。あの戦いは、そういう部分で差が出て勝てなかった。金谷本人も「2、3ホール、攻めきれなかった」と振り返っている。
三田村 そんな戦いぶりもあって、2019年にアマチュアVを飾った「三井住友VISA太平洋マスターズ」では、「(開催コースの)太平洋は攻められるようになった」と言った。ナショナルチームのヘッドコーチ、ガレス・ジョーンズ氏の指導もやはり大きい。「ディープ・プラクティス」というのを教わっていて、要するに練習で1打ずつ、試合のルーティンを全部踏んで、イメージも全部つけてショットする。「いつも本番のつもりで練習をやれば、試合でプレッシャーがかかったときでも普通に打てるようになる」と。金谷の表現だと「試合の方が練習より楽だ」とも。
宮本 アマチュアにとって日本アマのタイトル同様、日本オープンのローアマという勲章も大きい。金谷はそれを3回も取った。日本人として初めて「マーク・マコーマックメダル」も手にした選手だから、プロとしての一歩目にはもちろん注目したい。