「ゴルフ本」の登場人物も勝った 日本一の称号を手にした外国人選手/ゴルフ昔ばなし
千葉県の紫CCすみれCで国内メジャー「日本オープン」が15日(木)に開幕します。始まりが1927年と長い歴史を持つ大会の幕開けに先立って、ゴルフライターの三田村昌鳳氏とゴルフ写真家・宮本卓氏の連載対談「ゴルフ昔ばなし」では日本人選手らの偉業を紐解いてきました。第3回ではこれまで栄冠を手にした外国人選手について掘り下げます。
■セベ・バレステロスが大会連覇
―昨年はチャン・キムが最終日に逆転優勝した「日本オープン」。元世界ランキング1位のアダム・スコット(オーストラリア)もスポットで過去5度の出場を果たすなど、大会にはこれまで多くの外国人選手も参戦してきました。
宮本 やっぱり「日本オープン」での外国人選手と言えば“スペインの星”、セベ・バレステロスだよね。1977年と1978年で連覇を成し遂げた。2年連続優勝自体が1936年の宮本留吉以来、実に42年ぶりのこと。当時まだ20歳だったんだから。
三田村 セベは、1976年の「全英オープン」で優勝争いを演じて2位になり、活躍を予感させた。世界的デビューをして間もない頃に日本に来てくれたんだ。
宮本 その全英はマンデーから出場した鈴木規夫が本戦で日本人初の初日首位でスタートして最終的に10位で終えた大会。当時は欧州ツアーもまだ確立されていなくて米ツアーをはじめ、各国を転戦するような時代だった。そこから世界のセベになるんだ。
三田村横浜CCで行われた1978年大会は、グラハム・マーシュ(オーストラリア)とのプレーオフを制しての勝利。青木功や中嶋常幸、杉原輝雄らは3位と抑えられてしまった。
■セベ以来の外国人優勝者 テラバイネンって知ってる?
―その後、時代はAON全盛期へ。1983年の青木功の優勝から尾崎将司、中嶋常幸の3人の競り合いが続きました。バレステロス以来の外国人のチャンピオンが誕生したのは大阪・茨木CCでの1996年大会。18年ぶりのことでした。
宮本 優勝したピーター・テラバイネンという選手が面白いんだよ。『リンクスランドへ ゴルフの魂を探して』(朝日出版社/1994年、マイクル バンバーガー著、管啓次郎訳)という本がある。米国のライターだった著者のバンバーガーが渡欧して、ツアーキャディなどをしながらリンクスコースを巡るノンフィクション。当時ゴルフ本の中では一番面白い、読まない人はゴルフ好きではないとまで言われていた。そのなかに登場するプロがテラバイネンだったんだ。
三田村 「日本オープン」を優勝した時は当時40歳。名門イェール大学出身で、身長も180㎝と高く、風貌も変わっていた。欧州ツアーを中心に、アジアン、豪州と20年間世界中を渡り歩いていたんだ。本の中のプロと、目の前のテラバイネンが結びつく人は当時の記者でもなかなかいなかったんじゃないかな。
宮本 僕はこの本を読んで、世界を旅することに興味を持った。自分の人生を変えるぐらいだったんだけど…。本人を見て、「このおっちゃんなの?」って思ったなあ。もっと格好いい人をイメージしていた(笑)
三田村 勝ち方も独特だった。最終日の15番で最大のピンチを迎えたんだ。第1打を左に引っ掛けて100ydほどしか飛ばないチョロ。後から「ハンディ36のティショットだ」って、本人は言っていたよ(笑)。でも第2打、第3打の両方で9Iを使ってグリーンオンさせて、4m半のパーパットを沈めてパーを拾った。
宮本 男子プロであれば、2打目に300ydくらい残していたら、まず3Wを握って、何が何でもグリーンの近くまで持っていこうとするはずだよね。そういう攻め方ができる人はなかなかいない。
三田村 リンクスで腕を磨いた上手さだろうか。“汚いパー”も、“せこいパー”も、“格好いいパー”も彼にとっては同じパーであることが身に沁みついていたんだね。
翌1997年にはクレイグ・パリー(オーストラリア)が尾崎将司に1打差をつけて優勝を飾り、近年は韓国人選手の台頭が目覚ましくなりました。2010年大会ではキム・キョンテが最終日にコースレコードとなる「64」をマークして優勝。翌2011年は米ツアー進出前のベ・サンムンが制し、ふたりはそれぞれの年で賞金王にも輝きました。連載・昔ばなしの「日本オープン」編は次回が最終回。今回の第85回大会で、金谷拓実がプロデビューを迎えます。アマチュア世界ランキング1位に君臨した逸材にフォーカスします。