体に染みついて離れなかったリカバリー能力
浅地洋佑選手が初めて脚光を浴びたのは弱冠14歳、中学2年生の時でした。国内ツアー「コカ・コーラ 東海クラシック」の主催者推薦選考会(マンデートーナメント)を突破し、結果は予選落ちでしたが、プロに混ざって健闘を見せた姿に多くのギャラリーが驚かされました。
翌年に「日本ジュニア」を制し、2009年には「全米ジュニア」に出場。この年に優勝したのがジョーダン・スピース(米国)だったのですが、一緒に回った今平周吾選手とともに日本を代表する選手として、華々しいジュニア時代を送りました。
浅地選手ももう25歳、今月の誕生日で26歳。2011年のプロ転向から、初優勝までに要した時間は約7年。スランプに陥り、パターイップスも経験しました。現在ツアーで活躍している選手は、ほとんどがジュニア時代から注目を受け、周囲から大きな期待を背負ってきたメンバーばかりです。浅地選手もその一人。特に学生時代は敵なしで、右肩上がりで成長を続け、夢と希望を抱きながらプロの世界へ飛び込んできたはずです。
ただ、そんな彼らでもこれまでのゴルフが通用しないと気づかされるのがプロの世界です。一度アマチュア時代に達成感を覚えてしまった選手は、この立ちはだかるプロの壁を前に、そのまま消えてしまう選手も少なくありません。
私たちの時代は、アマチュア当時に脚光を浴びたとしても、プロ入りは早くて大学を卒業したあと。プロの壁にぶつかってスランプに陥っても、年齢としては若手から中堅、早くても20代です。ツアープロの低年齢化が進むなかで、浅地選手のように25歳の若さでこれほど多くの経験を積んできたという選手はいませんでした。
下部ツアーでは2012年と15年に2度の優勝を果たしている浅地選手ですが、レギュラーツアーでは安定した結果が残せず、今大会も選考会を突破しての出場でした。優勝を目指すというよりは、目標は今季のシード権確保。まずは次戦の出場権を得るための試合、というのが正直なところだったと思われます。
そんな彼が最終日を迎えた時点で首位に立ちました。初優勝がかかったラウンドで、最終組をともに回ることになったのが、マイカ・ローレン・シン選手(米国)とデンゼル・イエレミア選手(ニュージーランド)。二人ともドライバーの飛距離300ydを優に超える飛ばし屋です(浅地選手の4日間の平均飛距離284yd)。ショートホール以外すべてのティショットでドライバーを握るほど、ガンガン攻めていくタイプ。プレースタイルの違う二人の同伴者に、通常ならペースを乱され、スコアを崩してしまいがちな状況でした。
舞台となった総武カントリークラブ 総武コースは、グリーンもフェアウェイも地面が硬く、グリーンが小さいことで、パーオンできない場面を多く強いられました。そんななかでも浅地選手は冷静にリカバリーに成功し、パーセーブを継続。後半だけでも4回バンカーに入れましたが、すべて1パット圏内に寄せました。
そんな彼の姿を見て、初優勝を狙う若手というよりは、数十年も経験を積んだベテラン選手のように感じられました。第一線で戦うベテラン選手は、一度歯車がかみ合って優勝が絡むと、緊迫した状況でもショートゲームで勝負強さを発揮するタイプが多いです。浅地選手にその粘り強いプレーを重ねて見ていました。
初優勝まで7年を要しましたが、土壇場の最終局面で最大の武器となったのは、長年積み重ねたキャリアの賜物。緊迫したシーンで輝きを見せた、“25歳のベテラン”の体に染みついて離れなかったリカバリー能力が決め手となったのです。(解説・佐藤信人)