国内男子ツアー

東洋の生んだライジング・ゴルフ・スター CNN「リビング・ゴルフ」で石川遼選手に密着したアンカーの手記

2010/11/08 10:40

ドン・リデル(CNN「リビング・ゴルフ」アンカー)

石川遼とCNNのドン・リデル(Photo:CNN )

1997年、タイガー・ウッズという名の若者がこの世界に降り立った。オーガスタで最初のマスターズタイトルを獲得し、肌の色が異なる多くの子供達に囲まれてまっすぐカメラを見つめ「私の名前はタイガー・ウッズ」という象徴的なナイキのテレビコマーシャルに出演し、全世界に衝撃のデビューを果たした。

それから13年と14のメジャータイトルののち、タイガーは自らの可能性を見事に実現してきた。しかし今の彼は、傷ついた天才で自分自身の過去の栄光にとらわれた男になってしまった。そして今、ゴルフ界は若くてガッツのある、新世代のスターを待ち望んでいる。タイガーに憧れ、インスピレーションを受け、そして憧れのタイガーを世界の舞台から引きずり降ろしたいと野心に燃える若者達だ。

代表的なのは、アメリカのリッキー・ファウラー、そしてヨーロッパのローリー・マキロイ、いずれも21歳。一方、アジアの数百万人のゴルファーたち、そしてすぐに全世界も注目し始めるであろう名前は「石川遼」。ファンは石川選手が、ファウラーやマキロイと肩を並べることを強く望んでいる。

石川遼とCNNのドン・リデル(Photo:CNN )

日本ジュニアゴルフ協会(JJGA)の林武大専務理事はこう語る。「私が生きている間に、彼のような人材はもう現れないでしょう」。林氏はこれまで40年にわたり、若手の発掘と育成に携わってきたが、石川遼ほど優れた人材は見たことがない。「彼は100年に1度の逸材なのです」。

石川遼選手は弱冠19歳にして、多くの記録を次々と塗り替えてきた。日本チャンピオンになったのは彼が中学生のときだった。しかし彼の可能性に本当の意味で注目が集まり始めたのは、2007年のマンシングウェアオープンKSBカップに、スポンサー推薦での出場が認められた頃からだ。悪天候により、最終日は朝6時スタート、1日で2ラウンドをプレーしなければならなかった。数人の友人と家族だけが見守るなかでティーオフした彼は、69と66というスコアで見事に優勝。このとき彼はまだ16歳の誕生日まで4カ月を残していたのだ。

その後4年間で、石川選手はセベ・バレステロスによる全ツアーの最年少優勝記録を打ち破った。その翌年プロに転向し、その後4年間で「最年少」の記録を多数達成。タイガー・ウッズですら、石川選手ほど早く世界のトップ100やトップ50の仲間入りを果たすことはできなかった。昨シーズンは、日本ツアーにおける最年少賞金王となり、合計2百万ドルの賞金を獲得した。9月半ばまでたったの17歳だった少年による快挙であった。

石川遼(Photo:CNN/Don Riddell )

こういった数々の快挙も、石川選手のゴルフ人生にとっては序章に過ぎないが、すでに生涯獲得賞金額は数百万ドルに達している。日本ではプレー中や、パナソニックや全日空などの広告に登場している石川選手の姿をテレビや看板で目にしない日はない。こういったスポンサー企業は、いずれも国際的に認知が高く、世界市場でのさらなる展開を目指しているブランドだ。

彼は常にファンやメディアに取り囲まれており、獲得した全トロフィーを展示している博物館もすでにあり、そこには毎週、大勢の人々が見学に訪れている。彼のモットーが「World, here I come」なのも納得だ。

彼にまつわるマーケティング戦略や野心は一見尊大に思えるかもしれないが、彼自身から受ける印象は全く異なる。「コース上では有名人かもしれませんが、家では普通に一人の子供として扱われています。自分はとても恵まれていると思うことがよくあります。多くのファンの皆さんが応援してくれることをとても嬉しく思っています」と先日札幌で行われたトーナメントの前に石川選手は私達に語った。「自分自身を天才と呼ぶべきかどうかはわかりませんが、もちろん練習は一生懸命しています」。

これが石川選手の本質であり、また世間も同じように彼を受け止めている。彼は家族ととても仲がよく(弟と妹がいる)、謙虚で堅実、そして恐ろしいほど熱心だ。彼は毎日3時間ジムで汗を流し、さらに5時間をゴルフ練習場で過ごす。まさにタイガー世代の申し子だ。

石川遼リッキー・ファウラー、ローリー・マキロイはいずれも大胆で積極的なプレースタイルで知られており、3人ともそのファッションセンスには定評がある。この日本人スターが着ると明るいオレンジやスカイブルーのパンツもよく馴染む。彼はコース上でよく目立つウェアが好きだと言い、日曜日の最終ラウンドにはタイガーのように赤のウェアを着る。

「僕はタイガー・ウッズを見て、ゴルフを始めました。ぼくにとって大きな衝撃で、深く尊敬しています。タイガーのようにプレーすることをいつも夢見ていました。彼がいなければ、僕は今ここにいないと思う。僕たちタイガー・ウッズに続く世代は、未来のゴルフ界をさらに魅力的なものにするために貢献していかなければならないと思うんです」

すでに石川選手はその「未来のゴルフ界に対する貢献」を始めている。今年の5月2日日曜日、真っ赤なパンツを身に着けた彼は、名古屋で開催された中日クラウンズで優勝し、静かにその名前を記録に刻んだ。これは彼が獲得した7番目となるタイトルで、二位に5打差で優勝したのだが、そんなことはこの日の話題の中心ではなかった。石川遼は、メジャーツアーで史上最少のスコア58を記録したのだ。

当時彼は、この歴史的偉業についてまだ実感がわかないと言っていた。そして今でもうまく説明ができないようだ。「夢の中にいるような感覚でした。 ボールとカップがお互いに磁石で吸い寄せられるように、リモートコントロールでボールを制御しているような感じでした」。

石川遼(Photo:CNN/Don Riddell )

しかし事実彼はこの快挙を成し遂げ、世界中の誰もが注目しはじめ、彼には「日常」生活というものがなくなってしまった。「もう電車に乗れなくなったし、帽子などで変装せずに買い物に出かけると人が周りに集まってしまい、迷惑をかけてしまいます」石川選手は淡々と語り、決してそれを不満に思ってはいないようだ。

石川選手の登場はゴルフ界にとって格好の刺激剤となった。高齢化と20年にわたる景気後退によって、日本のゴルフ業界は深刻な痛手を受けている。1990年以降ゴルフ人口は1,200万人から900万人と、25%も減少。しかしそこに石川選手と宮里藍選手が登場してから、影響を受けた多くの若者がゴルフを始めるようになった。前述の林氏は、こういった若手選手の台頭が日本ゴルフ界の将来に、劇的な変化をもたらすだろうと考えている。「石川選手の登場以来、日本のゴルフ業界は大幅な回復を見せています。これはとても喜ばしいことです。」倒産したゴルフ場を買収し、再生しているPGMホールティングス社の草深多計志代表取締役社長は、石川選手一人の力で日本のゴルフ業界を救うことはできないかもしれないが、彼が「起爆剤」になることは確かだと言っている。

日本におけるゴルフ場の建設は実質的には停滞している。新たなゴルフ場の必要性もほとんどなく、国土の狭い日本にすでに2,350ものゴルフ場がひしめき合っているため、新たな建設用の土地もほとんどないというのが実情だ。石川選手個人としての未来は非常に明るいように思えるが、自身のゴルフには全ての面で今後改善していくべき点があると彼は考えている。そしてさらなる成長のために日本を飛び出す必要性があることも知っている。

通常、日本のコースは非常に手入れが行き届いていて、ラフはどちらかというと装飾的で易しい。ゴルファーにとってひどい「罰」を与えるようなものは少ない。ゴルフコースのオーナーは皆、プレーヤー達に迅速なラウンドを望んでおり、名誉が重んじられるこの国では、ハンディキャップも低いほうを好む傾向にある。ゲームを難しくすることは誰も望んでいないようだ。

「現時点ではアメリカに拠点を移す必要はないと考えています。まだ日本でたくさん勉強することがありますから」と石川選手は言う。「将来もしも気が変わったら、すぐに引っ越してしまうかもしれませんが」と。父の石川勝美氏は「急ぐ必要はない」と考えているようだが、決断の日が間違いなくやってくるだろう。

埼玉の田舎町にある周囲を田んぼに囲まれた一際目立つ青々とした土地。東京都心から車で1時間ほどの石川家の近くにある、石川選手の個人練習場だ。この土地全体に点々と植えられているのは、日本ではあまり見られない「ケンタッキーブルーグラス」と呼ばれる芝だ。それほど深い芝ではなく、ゴルフボールが見えなくなるほどでもない。PGAツアーでのさらなる成功に向け、石川選手はここでショットの練習に励んでいる。

今シーズン石川選手はアメリカで9つのトーナメントに参加し、トップ10が1回、USオープンでは33位タイの記録だった。ぺブルビーチでの悲惨なファイナルラウンドさえなければ、初めてのメジャータイトルも夢ではなかっただろう。セントアンドリュースで開催されたThe Open(全英オープン)でも、27位タイと印象的なデビューを飾った。

ゴルファーたちの多くは自分のショットをイメージするものだ。石川選手は、個人ゴルフ練習場から程近いジムで、自分の将来をイメージしている。マスターズの写真と歴代チャンピオン達の華々しいポスターに囲まれた部屋で、石川選手は日々筋力トレーニングを行っている。彼らのような伝説的プレーヤーになることを夢見、石川選手自身もグリーンジャケットが目標であることを公言している。米国の巨大な地図も目をひく。ロサンジェルス、フェニックス、オーランド、そしてもちろんオーガスタなどにはマークが付けられていた。

この地図は彼の志を物語っている、しかしそこには個人的な葛藤も垣間見える。一番上の端には、石川選手と弟、妹が一緒に写った家族写真が留めてある。仲のよい家族だが、彼のスケジュールがハードになるにつれ、家族がともに過ごす時間もますます少なくなってしまっているのも事実だ。「アメリカに移ることに対して、両親が何というかわかりません。最初に両親の意見を聞かなければいけないですが、どのような反応をするのか想像できないです」と彼は言う。父親の勝美氏こそ石川選手をゴルフに導いた功労者だが、ゴルフにはそれほど強い関心はないと謙虚に語っていた。「私自身は上手ではないので、ゴルフのことはあまりよくわかりません」それでも、息子を取り巻く観衆を誘導したり、トーナメント会場では石川遼選手のスイングを指導しているのを目にすることができる。

石川選手はプロゴルファーとしてすでに大きな一歩を踏み出しているが、次の一歩は間違いなくもっとも難しいものになるのではないだろうか。世界でトップに立つには、常にベストの状態でプレーし、勝利を収める方法を習得しなければならない。もし石川選手が本拠地をアメリカに移すことになれば、そのときは文化の違いや精神面で大きな試練に直面するだろう。それでも、忍耐力と精神力が成功の源になっている彼は、それをやり遂げる意志の強さを持っていると言われている。

スキーの町、湯沢にある彼の博物館を見て回ると、素晴らしいキャリアとはどんなものかを感じることができる。おびただしい数のトロフィー、スコアカード、記念品、ウェア、そしてギネス世界記録の証明書。幼少期の家族写真では、ほとんどの写真で彼はゴルフクラブを手にしている。幼少の頃、彼がゴルフに関して記したメモと、最初に買ってもらったプラスチック製のおもちゃのゴルフセットを見て来館者は驚いてしまうだろう。

この博物館は彼がわずか17歳のときに開館した。石川選手の物語はすでに語り継がれ、収められた品々も後世のために保存されている。このこと自体がすでに信じられないことであり、そして石川遼が将来どれだけ偉大な物語りを作り上げていくのかを充分に予感させるのだ。(了)

Don Riddell (ドン・リデル)
2002年CNN入社。「ワールド・スポーツ」のアンカーを経て、「リビング・ゴルフ」のアンカーに抜擢される。タイガー・ウッズ、ロジャー・フェデラー、ルイス・ハミルトンなど多くの世界的トップアスリートへのインタビュー経験が豊富である。近年は、G20ロンドンサミット、北京五輪聖火リレー反対騒動などの現地レポートや、イスラエルのパレスチナ・ガザへの侵攻、2008年アメリカ大統領選のニュースを伝えるなどスポーツだけではなく、幅広い分野を担当する。

CNNj日本特別企画「ユニークリー・ジャパン」を絶賛放送中!
石川遼選手を特集したCNNj「リビング・ゴルフ」は11月17日24:00にオリジナル音声版を初回放送。本田圭佑選手やm-floのVERBAL氏などが登場する「トーク・アジア」など、今月のCNNjは国境を超えて活躍する日本のスターを大特集。CNNjは全国のケーブルテレビやスカパー!でご覧いただけます。詳しい番組情報はhttp://www.jctv.co.jp/cnnj/uj2010/ まで。番組と連動したTwitterキャンペーンも実施中www.uj2010.jp。

【放送日時】
11月17日(水)24:00-24:30
11月19日(金)24:00-24:30
11月20日(土)14:00-14:30
11月21日(日)14:00-14:30
11月28日(日)14:30-15:00