ボーディッチ“淡泊な歓喜”の陰にあった壮絶な戦い
テキサス州サンアントニオで開催された米国男子ツアー「バレロテキサスオープン」でツアー初優勝を飾ったスティーブン・ボーディッチ(オーストラリア)。優勝会見中、記者からの質問を受けると必ず「あーー」と長い息を吐いてから言葉を続ける奇妙な癖が気になった。僕はまだその時、彼の癖の裏に潜む壮絶な戦いを知らなかった。
1983年にオーストラリア東部のブリスベンから北へ120キロほどにあるクイーンズランド州ペレギアン・ビーチで生まれたボーディッチは、小さな頃からゴルフの才能に抜きんでていたという。アダム・スコットやジェイソン・デイらも通った全寮制のクーラルビン国際学校に進学しゴルフを専攻し、18歳でプロ転向を果たした。
3歳年上のスコットはこう表現する。「彼は素晴らしい目と体の動きの連携(ハンド・アイ・コーディネーション)を持った希有な才能の選手。もしそんな天性を持っていたら、あとはいつ彼のゲームが成熟するかだ」。この言葉を聞いて、ボーディッチがTPCサンアントニオで何度も修羅場をくぐり抜けた絶妙なアプローチが、ただの偶然ではなかったことに思い至った。
プロになった直後のボーディッチは、海を渡りヨーロッパの下部ツアー(チャレンジツアー)で1年半ほど戦うも、結果を残せずに借金がかさみ、失望して一時ゴルフから足を洗ってオーストラリアに帰国。クーラルビンリゾートのプロショップで働きながら復帰を目指す苦節を味わっている。
雌伏すること2シーズン。2005年にクイーンズランドのミニツアー(トロッポツアー)に参戦し、突如成績を残し始める。クイーンズランド・オープンの出場資格を得ると、本戦では5打差をつけるぶっちぎりで優勝。その権利で出たオーストラリア・オープンで3位タイに入ると、今度は同資格で出場したネイションワイドツアーと共催のジェイコブス・クリークオープンを制覇。翌週にはニュージーランドプロ選手権で2位に入るなど、とんとん拍子にステージを駆け上がった。
だが、その頃から彼を悩ませる“症状”が出始めたという。連日の頭痛と突然の鼻血、さらに連夜の不眠…。数分間の集中を続けることも困難になっていった。
「試合中にフェアウェイを歩いていて、近くでバーベキューをやっている人たちを見ると“今、ステーキはどんな具合だろう?”と気になってしまうんだ。それで、その人たちのところに行ってご馳走になる。それまで自分がどんなプレーをしていたのかは全く気にならないし、テレビでゴルフ中継を見ているように感じていた。混乱もないし、がっかりもしない。ただ、他のことをしてしまうんだ」。
ジェイコブス・クリークオープンの水曜日、激しい頭痛に襲われたボーディッチは病院でMRI検査を受けた。医師の診断は「臨床的うつ病」だった。「05年の終わり頃には本当にひどくなった。怒りも幸福もすべてを失った。奇妙なことだけど、その頃が人生で最も良いゴルフをしていた時期だった」。
治療は容易ではなかった。最初に試した抗うつ剤は眠りを妨げ、少しずつ取り戻した感情はすべてが怒りだった。自分を傷つけようという考えに支配され、PGAツアーに初めてフル参戦した06年4月には12日間連続の不眠の末、宿泊先のコンドミニアムのプールで自殺未遂も起こしている。06年シーズンは結局、22試合に出場して、4度の失格と3度の棄権に12回の予選落ち。4日間を戦い抜いたのは、わずかに3試合だけだった。
それでも、何種類かの薬を試すうちに徐々に光が差し始め、08年には投薬なしで医師の経過観察を受けるまでに回復した。だが、ツアー初優勝を決めたこの日の記者会見でも、「病気を克服したとは思ってない。毎日それと向き合って、少しずつ勉強している。自分のことを理解して、1歩ずつ前へ進んでいくだけ」と、淡々と語るだけだった。
陽光に彩られたTPCサンアントニオの18番グリーン上で、大会恒例となっている“優勝ブーツ”に足を入れたボーディッチ。その傍らには、08年から彼を支えている妻のアマンダ・ヤルッシが静かにたたずんでいた。
「アマンダは僕の人生における愛。彼女は妻であり、心底愛している。彼女がいなければ、ここでこうして話していることもなかっただろう。良いときも悪いときも、彼女はいつもそばにいてくれるんだ」。
ティショットを曲げて何度となく大きな石(ルースインペディメント)やサボテンに行く手を阻まれても、いわんや同伴競技者がどれだけスロープレーをしようとも、ボーディッチにとっては恐れるほどのことではなかっただろう。
派手なガッツポーズもなく、見ている者には少々淡泊に感じられたツアー初優勝の陰には、まだ終わることのない戦いが隠されていた。(テキサス州サンアントニオ/今岡涼太)
■ 今岡涼太(いまおかりょうた) プロフィール
1973年生まれ、射手座、O型。スポーツポータルサイトを運営していたIT会社勤務時代の05年からゴルフ取材を開始。06年6月にGDOへ転職。以来、国内男女、海外ツアーなどを広く取材。アマチュア視点を忘れないよう自身のプレーはほどほどに。目標は最年長エイジシュート。。ツイッター: @rimaoka