2013年 全米オープン

若き才能からメジャー王者へ ローズが開花するまで

2013/06/19 15:12
J.ローズがメジャーチャンプへと上り詰めた足跡を辿る (Getty Images)

1998年の「全英オープン」の72ホール目で素晴らしいピッチングをカップインさせたジャスティン・ローズは空を見上げた。そしてギャラリーはこの才能に満ちたティーンエイジャーの登場に拍手喝采を送った。

それから15年後、メリオンでの「全米オープン」を制し、彼は再び、今度は亡き父の思い出と共に空を見上げた。

1998年の夏に世界の大舞台に登場して以来、紆余曲折が続いた。そして彼はそれを耐え忍んだ。彼は18歳の誕生日にプロへと転向しメディアからの脚光を浴びたが、それ以降21試合で予選落ちを喫した。そして2002年には父親を癌で亡くすという悲痛を味わった。

それでも彼はその間ずっと前を向き、表裏一体の栄光と悲劇を経て大人へと成長し、チャンピオンになった。そうして今日の彼がいる。

1980年に家族がイングランドに戻る前に彼はヨハネスブルグで生まれた。そして彼はゴルフに憑りつかれて育った。彼は12歳になるまでには、自分はゴルフが得意だと自覚した。そして14歳にして彼のホームコースであるノースハンツGC周辺のハンプシャーホグにおいて史上最年少で優勝を飾り、彼の輝かしい才能を際立たせた。そして17歳になる頃には既にプロ転向を意識していた。

そしての直後の1998年のロイヤル・バークデールで脚光を浴びただけに、結果的にそれがその後の度重なる予選落ちのどん底を際立たせてしまったが、時間とともにその傷は癒え、「全米オープン」優勝でとうとう完治した。

「ゴルフコースで負った傷跡は、治るのに時間がかかるものさ」と彼はそれを受け入れた。「それはトラウマになるほどのプロキャリアのスタートだったよ。僕はそれについてずっと触れたくはなかったけど、それを乗り越えてようやく話すことができるようになったよ。このような瞬間を迎えると、自信という観点からも試合運びという観点からも僕がどうそれらを感じたかを話すことができるよ」。

ローズは2002年にふたつの欧州ツアー優勝と3度の準優勝を飾り、2007年には欧州ツアーナンバーワンに与えられるハリー・バードントロフィーも手に入れた。その後の彼は安定した躍進を遂げ、2010年にはPGAで2勝をあげ、昨年は「キャデラック選手権」を制し、自身初めてとなるWGCタイトルを手に入れた。

昨年9月のメダイナでの「ライダーカップ」において、彼は日曜日のシングルスでフィル・ミケルソンを上回り歴史的なヨーロッパチームの勝利に貢献した。しかしこのシカゴでのチーム優勝を上回る喜びを「全米オープン」の優勝によって得ることとなった。

「チームで優勝をした時のほうが歓喜はより楽しいものになるね」と彼はふたつの個人での優勝と比較して語った。「みんなで力を合わせて達成する。そこに仲間意識が芽生え、それはとても特別なものなんだ。みんなで成し遂げた。それは本当に素晴らしい瞬間だ。だからそれはとても特別なものなんだ。みんなで勝つというのは特殊なものさ。恐らくあの感覚はもう二度と味わえないと思うよ」。

「これは長い旅路。そしてこれはとても満足のいく感覚なんだ。これは夢見て、願って、練習を重ね、そして手にタコができる20年にも30年にも及ぶ旅路だ。誰の手助けもないこの旅はとても大切で満足のいくものだよ。苦労を重ね、そして自分自身でやり遂げなければならないんだ」。

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