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<選手名鑑225>パット・ペレス(前編)

■荒野の男 パット・ペレス

一度見たら忘れないこの風貌・・・パット・ペレス

松山英樹が連覇に挑む今週のフェニックスオープンは10万人超のマンモスギャラリーが押し寄せるビッグイベントだ。彼らの応援がひと際大きくなるのは、地元ゆかりの選手たちに向けた応援で、不動の人気ナンバーワンは、アリゾナ州立大学出身のフィル・ミケルソンだ。だが、ミケルソンに負けないほどの大きな声援を受ける選手がいる。ミケルソンより6歳下、出身大学も同じパット・ペレス(40)だ。大人気の理由は、ペレスがアリゾナ州フェニックスに生まれ、現在も今大会開催コースがあるスコッツデール在住の生粋の“アリゾナン”だからだ。

アリゾナの砂漠地帯で育ったせいなのか、トーナメント記録も同じ砂漠地帯カリフォルニア州パームスプリングス行われるキャリアビルダーチャレンジに集中している。03年大会では2日目にプレーしたバミューダデューンズで「61」のコースレコードを樹立。前半の「28」も記録だった。06年大会初日には「60」をマーク。当時PGAツアー史上17人目の達成者で、「59」をマークした3人を含め、「60」以下のスコアでは20人目だった。そして自身の初優勝も09年の同大会。昨年11月、メキシコで行われたOHLクラシック・マヤコバで9年ぶりツアー2勝目を飾り、今年のフェニックスはいわば凱旋帰郷とあって、地元の期待はさらにヒートアップ間違いなしだ。

■No Music, No Golf

ペレスはゴルフにとどまらず、言動や行動もアグレッシブ。自分らしく生きることが信条だ。一時期、肩まで伸ばしていた髪について、「風が強い時は少し邪魔になるけど髪形を変える気はない」と断言。多くの選手が爽やか系のウェアを好む中、ハンドメイドのパトリック・ギボンズ製スカルのバックルベルトを愛用するなど個性的で、ツアーにフィットしようという発想は一切ない。俳優ビル・マーレーは「面白くて気骨のある男」と気に入り、ペレスはゴルフ好きマーレー兄弟がプロデュースしているウェアを着用していた頃もあった。

ペレスの躍動感あふれる日常や、ゴルフを生み出しているのは音楽だ。クラブハウスのドアマンはペレスが到着する時はすぐわかるという。車の窓を閉めていても音量MAXで音楽をかけているからだ。僕も彼が車から降りようとドアを開けた瞬間、爆音が響き渡った場面に遭遇したことがある。スタート前の練習はイヤフォンで音楽を聴きながら、練習ラウンドもカートにポータブルスピーカーを持ち込み、お気に入り音楽をかけてノリノリで移動する。音楽は彼にとっての必需品なのだ。ペレスはラップも好きだが「80年代のポップス命」。マドンナやフリートウッドマックらの懐メロにメロメロだ。ミュージシャンもペレスファンが多く、68歳になったゴルフ好きのスティーブン・タイラー(エアロスミス)やファーギー(ブラックアイドピーズ)らは今年1月、初戦のペレスの応援にマウイまで駆けつけパーティーを開いていた。

欧州ツアーのコミッショナー、キース・ペリーは就任当初に改革テーマのひとつに「ゴルフと音楽の融合」を挙げ、その一歩を踏み出した。先週ドバイの開催コース練習場にDJを招き、選手たちは大音量の音楽を楽しみながら練習した。ヘンリック・ステンソンリッキー・ファウラーイアン・ポールターら多くの選手が「非日常」に大興奮で、コーチのショーン・フォーリーも、選手の好きな音楽を音量MAXで流しながら指導し、ジャスティン・ローズもそれがとても気に入っているという。

グレッグ・ノーマンも「一般のコースでも、曜日限定など条件つきで音楽をかけながらのプレーを容認してもいいのでは?」と新スタイルを提言したともいう。メジャー3勝、99年に飛行機事故で急逝したペイン・スチュワートらは、90年代に選手仲間でバンドを結成し、メジャーデビューも果たしていた。ロリー・マキロイも「スタート直前に聞く勝負曲がある」など、“No Music, No Golf”なのだ。PGAツアーも前夜祭でアース・ウィンド&ファイアなど著名グループやバンドを招いたり、ダスティン・ジョンソンのパートナー、ポーリーナ・グレツキーの歌手デビューの舞台とするなど、長年エンターテイメントと強いつながりを持つ。米PGAツアーにも新展開があるならば、ペレスはご意見番として抜擢され、奔走するに違いない。

■神童タイガー・ウッズ撃破でヒーローに

ペレスは1976年3月1日、米国南西部のアリゾナ州フェニックスで生まれた。メキシコ系米国人の父親トニーは、ベトナム退役軍人で、同州フェニックスに帰還した後はカリフォルニア州サンディエゴ郊外のトーリーパインズGCに勤務し、スタート係をしていた。同コースは先週のファーマーズインシュアランスや、08年に開催された全米オープンの開催地として知られる名門コースだ。ペレス一家は経済的に恵まれていたわけではなかったが、父親の仕事の関係でゴルフ環境は抜群。父子で練習場終業後にボール集めや整備をすることを条件に、同コースのプレーや練習場が使い放題だった。上級者に出会うことも多く、メキメキ上達し、ジュニアで全米屈指のレベルに達するまでに成長した。

当時の米ジュニア界で「神童」と言われていたのはタイガー・ウッズにほかならない。ペレスは、ウッズより3カ月ちがい(ウッズが上)の同世代。実力は拮抗していたが、ウッズ実績や人気の陰に隠れ、注目を集めることはなかった。ペレスが存在感を示したのは93年、父が勤務するトーリーパインズGCで開催の世界ジュニア選手権だった。優勝候補の筆頭は、全米ジュニアアマ選手権史上初の3連覇のかかったウッズだった。ところが、多くの予想を覆し、優勝したのはペレスだった。しかもウッズに8打差をつけての圧勝劇。その後、ウッズは全米ジュニアアマ選手権で3連覇を達成。ペレスは2週間後、パインハーストで行われたマックスフライPGAジュニアで優勝し、一躍、脚光を浴びる存在になった。

大学は生まれ故郷にあるゴルフの名門アリゾナ州立大学に進学。96年、同校は彼の活躍もあって全米学生選手権で優勝を飾った。ペレスは有終の美を飾り、翌97年にプロ転向すると、ミニツアーや下部ツアーで経験を積み、01年のQスクール(PGAツアー出場権獲得試合)でトップ合格を果たした。02年はPGAツアーのメンバーになり、フル参戦した。02年2月、シーズン5試合目、自身にとっては4試合目となるAT&Tペブルビーチ・プロアマで大活躍。最終日を首位で迎え、夢の初優勝が目前に迫った矢先、とんでもない出来事を起こしてしまった。(続)

佐渡充高(さどみつたか)
ゴルフジャーナリスト。1957年生まれ。上智大学卒。大学時代はゴルフ部に所属しキャプテンを務める。3、4年生の時に太平洋クラブマスターズで当時4年連続賞金王に輝いたトム・ワトソンのキャディーを務める。東京中日スポーツ新聞社を経て85年に渡米、ニューヨークを拠点に世界のゴルフを取材。米国ゴルフ記者協会会員、ゴルフマガジン「世界トップ100コース」選考委員会国際評議委員。元世界ゴルフ殿堂選考委員。91年からNHK米ゴルフツアー放送ゴルフ解説者。現在は日本を拠点に世界のゴルフを取材、講演などに飛び回る。

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