2015年 WGCキャデラック選手権

<選手名鑑148>ブラント・スネデカー

2015/03/04 10:00
世界ランク下降のスネデカーだったが、デッドラインぎりぎりの「AT&Tペブルビーチ-」で優勝を飾り、世界選手権、マスターズの切符を手中に収めた

■ 背水の陣ペブルビーチで値千金の勝利

「WGCキャデラック選手権」への出場資格は、2014年PGAツアーのポイントランク30位、欧州ツアー上位20位、豪州、南ア、日本、アジア各ツアーの上位2人など、世界選手権だけに極めて厳しい。この条件を満たさない選手に残された道は、2月23日時点での世界ランク上位50位まで、もしくは開幕直前3月2日時点での世界ランク50位か、今季FedEXカップポイントランク10位である。

ブラント・スネデカー(34)はツアー7勝だが、今シーズンはまさかの低迷が続き、一時は世界ランク63位に下降した。このままでは「WGCキャデラック-」も「マスターズ」出場も赤信号が灯る。デッドライン前週(2月第2週)の「AT&Tペブルビーチナショナルプロアマ」に、スネデカーは背水の陣という思いで挑んでいた。そこで起死回生の優勝を飾り、世界ランクは一気に31位にまで上昇。両試合の出場権を決定的なものとし、好天に恵まれた絶景のペブルビーチで喜びを爆発させた。

■ 痛みの原因は骨密度

2年前の2013年、同じく「AT&Tペブルビーチ-」の優勝で、一気に複数回優勝を狙うかと思っていたら、突然の1カ月休養を発表した。前年から左胸筋に違和感があり、優勝直後に走った痛みに不安を募らせていたのだった。この6年で胸筋を4度も痛め、腰の手術を2回受けるなど、体調が案じられた。左胸筋の痛みの原因を探るため、あらゆる検査を受けたところ、DNA検査でひとつだけ良くない結果が現れた。それは“骨密度の低さ”で、胸筋の痛みもそれが原因であると判明したのだ。

治療は日本でも普及している“フォルテオ”という薬剤の皮下注射で骨密度を増し、骨の再形成を促進。骨折の危険性を軽減し、骨のミネラルも増やす効果があるという方法だった。スネデカーは自宅でも転戦中でも薬剤を冷蔵庫に保管し毎夜、腹部に自分で注射していたという。症状がひどかった頃は耐えられないほどの激痛だったそうだが、最近は治療効果で、常に痛みを伴う状態ではないほどに改善したが、現在に至っても、気長な治療が必要とされる状況だ。プレー後の身体メンテナンスも重要で、筋肉の炎症を抑えるために使うアイスパックを常に持参するなど、体調が万全でない中でも工夫しながらのプレーを続けている。ケガの影響で昨季は未勝利、世界ランクも下降していたが、ぎりぎりでビッグトーナメントへの出場権を手にした。心身ともに良い方向に向かい、今後の活躍が期待される。

■ 最速のタイトル奪取 快速のプレー

スネデガーのプレーは早く、気持が良い。迷わずクラブを選択し、躊躇なくショットをこなして、すぐに歩きだす。パットも、多くの選手は手首などの動きを最小限にするストロークを取り入れているが、スネデカーはラインを決めたら、手首を使ってパチンとタップで打つ。彼のゴルフは軽快で、見ていて爽快なのだ。

ツアーデビューは2007年。同年3月の「ウィンダム選手権」で初優勝し、新人王に輝いた。攻撃的なプレーでバーディを量産し、“ミラクル・ミラー”と言われたジョニー・ミラーの再来を予感させるものだった。2012年には、最終戦の「ツアー選手権」でシーズン2勝目を挙げ、年間王者を載冠した。ジョージア州イーストレイクGC17番で決めたチップインバーディは、同年のベスト・オブ・ショットにも選ばれ、先月ペブルビーチで見せた1年半ぶりの優勝は、デビュー当時の情熱的なゴルフを思わせるプレーぶりだった。

■ 家族と地元への強い思い

スネデカーは1980年12月8日、バーボンウィスキーで有名なテネシー州ナッシュビルで生まれた。ゴルフは母方の祖母がミズーリ州でゴルフ場を経営しており、ゴルフの最初の先生は祖母だった。父ラリーはテネシー州の弁護士で、母は質店を経営。スネデカーは幼い頃から母の傍で仕事を見守り、社会勉強と金銭感覚を身につけたという。

5歳上の兄ヘイムズは、28歳の最年少でアラバマ州判事に抜擢されると、父の仕事を継いで、弁護士になった。ヘイムズも大学ゴルフ部で活躍し、今もプロ級の腕前を持つ。2008年、2度目の「マスターズ」出場の際には、兄がバッグを担ぎ、抜群のチームワークで見事3位タイに入った。同年にオハイオ州出身のマンディー夫人と結婚し、リリーちゃん(3)オースティン君(2)の2人の子供をもうけた。スネデカーは筋金入りのナッシュビル・ボーイ。結婚後も両親の家の近くに住み続け、今まで5マイル(約8キロ)以上、離れて暮らしたことがない。どんなに練習環境が良い町でも、遠くに転居する気はないという。それは家族の絆、故郷の応援が彼を支えてきたからだ。

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