後世に残したいゴルフ記録

最終日に消えたキャディバッグ ~ツアー初期の珍事~/残したいゴルフ記録

2020/11/17 15:30
石井秀夫(左)と石井裕士(右)の間に起きた珍事件とは?(武藤一彦氏提供)

国内男子ゴルフのツアー制度が始まった1973年より前の記録は、公式にほとんど残されていません。本連載では、ゴルフジャーナリストの武藤一彦氏が取材メモや文献により男子ツアーの前史をたどり、後世に残したい記録として紹介。今回は、ツアー初期に起きた“記憶”に残る珍事を振り返ります。

キャディバッグ取り違え事件

1983年の国内男子ゴルフは、ツアー38競技、後援8競技の計46競技、賞金総額15億3490万円と、73年のツアー立ち上げ以来11年連続で賞金最高額を更新した。年々盛り上がりが増すさなか、当時は特別承認競技という扱い(賞金はランキングに加算)だった3月の「KSB瀬戸内海オープン」(香川・志度CC)最終日に、前代未聞とも言える“珍事”が立て続けに起きたのである。

元日大ゴルフ部主将、石井秀夫(当時32歳)は、プロ3勝目をにらみ首位から5打差18位で最終日の朝を迎えた。逆転優勝も見据え、張り切ってバッグ置き場に向かったところ、なぜか自分のキャディバッグがない。代わりに石井が契約しているブリヂストン社製の、鮮やかな銀色のバックがぽつんと置かれていたが、ローマ字で縫い付けてある刺繍の選手名は『Hirosi Isii』。同じメーカーと契約する先輩の石井裕士(当時44歳)のものだった。

そこでハッと気がついた。ベテランの石井裕士は予選落ちと聞いていたので、「もしかして、間違えて持ち帰ったのか?」。悪い予感は的中した。先輩プロは予選落ちした後、そっくり同じ後輩のバッグを持ち帰ったことが分かった。宅配便のない当時、バッグは自分で持ち帰っていた。先輩プロの完全なミスだった。

どうして、そんなことになったのか? 偶然が重なったのだ。“メーカーの広告塔”である契約プロには、シーズン初めに名前入りのバッグがクラブとともに提供されるが、デザインは同じで、違うのはローマ字表記の名前だけ。しかもファーストネームの頭文字は“HIROSI”と"HIDEO“でどちらも“H”と、さらに紛らわしかった。結局、被害者の石井秀夫は、地元・香川出身プロである鈴木規夫のミズノ社製のクラブを借り、パープレーの「72」で回ったが、追い上げならず18位に終わった。間違えた石井裕士は後日、謝罪したことは言うまでもないが、大方の反応は「かわいそうだけど笑えるね」と、周囲は二人の不運を、つい面白がる事件だった。

同じメーカーで同じデザインのバッグゆえに起こった珍事件。この二人、よほど縁があるのだろう。その翌年、1984年の「日本プロ」(静岡・ミナミ菊川CC)において、石井裕士は第1日にパー3でホールインワン、続くパー5でイーグルと、ツアー史上初の連続イーグル記録を達成。すると翌85年、今度は石井秀夫が、ツアー外競技「かながわオープン」(横浜西コース)の15番パー5、続く16番パー4で連続イーグルを記録した。現ツアーでは道具の進化もあり、連続イーグルはそれほど珍しいことではなくなったが、「二人の石井」の快挙は“バッグ事件”もあいまって、創成期のツアーをにぎわしたものだった。

次回はその「瀬戸内海オープン」最終日、優勝争いの末にプレーオフを放棄する事件が起こった顛末を振り返る。(武藤一彦)