2019年 AT&Tペブルビーチプロアマ

ミケルソンがペブルビーチで5勝目 思い出のボールマーカーとともに

2019/02/12 07:15
月曜日に持ち込まれた戦いを制し、歴代最多タイの大会5勝目を手にしたミケルソン(Harry How/Getty Images)

◇米国男子◇AT&Tペブルビーチナショナルプロアマ 最終日(11日)◇ペブルビーチGL(カリフォルニア州)◇6816yd(パー72)

ペブルビーチの気まぐれな空のことは誰よりも知っていた。フィル・ミケルソンが悪天候順延による5日間の戦いを制し、今季初勝利を飾った。日没サスペンデッドで前日積み残していた2ホールを月曜日(11日)に完了させ、最終ラウンドを「65」として通算19アンダー。ポール・ケーシー(イングランド)を退けてツアー通算44勝目を飾った。

前日までの荒天がウソのように、2人の月曜決戦は穏やかなコンディションで行われた。3打差を追ったケーシーの16番のパーパットから再開すると、ミケルソンはこの日最初のショットとなった17番(パー3)の第1打を難なくピンそば3mにつけて寄せ付けない。同ホールをパーとした後、18番(パー5)で2mを沈めてバーディで締めくくった。

あの頃を思えば、マンデーフィニッシュなど何でもない。1998年、2月の天候は荒れに荒れ、大会は36ホールを終えても期間中に完了することができなかった。一時は3月の開催を予定したが、それも延期に。54ホールの短縮競技とし、苦肉の策で最後の18ホールを8月「全米プロゴルフ選手権」最終日の翌日に行った。下位選手は軒並み棄権しながら、プレーを再開させた43人のうち1打差の3位タイから出た当時28歳のミケルソンは「67」をマークして逆転した。のちに「PGAツアーでもっとも長い試合」と言われるゲームで、同大会初優勝を挙げた。

カリフォルニア州ではタイガー・ウッズと並ぶ14勝目。うち5勝を同大会で手にし、マーク・オメーラの大会最多タイ記録に並んだ。

とはいえ、レフティにとって当地はその実績以上に特別な思い出が残る。モントレー半島で育った祖父のアルサントスさんは、貧困から9歳で学校をやめて社会に出た。近隣のデルモンテGCを経て、1919年にペブルビーチGL開業当時のキャディのひとりになった。

「祖父は(1ラウンド)25、30セントくらいで働いたそうだ。この場所と、それが彼の成長にもたらした意味について話していると、感傷的な思いに結びつく。だから僕がいつも良いプレーができるかは分からない。ただ、ここでは楽しんでいるだけなんだ」。ミケルソンが同コースでポケットに忍ばせているボールマーカーは、幼い頃にアルサントスにもらった1ドル硬貨だ。

49歳の誕生日となる今年の6月16日(日)は、ペブルビーチでのメジャー第3戦「全米オープン」の最終日にあたる(もちろん順延しなければ)。悲願のキャリアグランドスラム達成で、美しいストーリーは完結する。(カリフォルニア州ペブルビーチ/桂川洋一)

2019年 AT&Tペブルビーチプロアマ