122年前にも! 全米OPコースは物議の対象
14日開幕の「全米オープン」を主催する全米ゴルフ協会(USGA)。本部はニュージャージー州のファーヒルズという小さな町にある。敷地内には数棟の建物が点在しており、その一つは「ゴルフの歴史」を詰め込んだと言える図書館だ。100年以上前の書物を引っ張り出し、今年と同じシネコック・ヒルズGCで行われた第2回全米オープンについて調べた。
第2回全米オープンは1896年に開催された。当時注目を集めていた「全米アマチュアゴルフ選手権」が同時期にシネコック・ヒルズで開かれることもあり、コースはメディアに取り上げられた。
ゴルフ専門の雑誌『THE GOLFER』4月号は、ロングアイランド鉄道に隣接する土地を設立者が2万5000ドルで取得し、1891年に開業したというコース誕生のストーリーを紹介した。各ホールに名称をつけ、ヤーデージや攻略法を解説。例えば「2番ホールは“鐘楼(しょうろう)”と呼ばれる。グリーンの近くにはマウントがあり、厄介なバンカーにセカンドショットを入れるとトラブルになる。ちなみに、こう名付けられたのは鉄道を止めるベルが近くにあるからだ」といった具合だ。
大会は36ホールを1日間で行った。スコットランド出身のジェームス・ファリウスが優勝したが、「78」「74」の合計「152」のスコアは第1回大会より21ストロークも少なかった。総距離4423ydと前年より短いセッティングだったこともあり、「これだけ簡単でいいものか」と物議をかもしたという。
この議題の結論は不明だが、翌年シカゴゴルフクラブで行われた第3回全米オープンの優勝スコアは36ホールで「162」になった。当時の『THE GOLFER』は、前年の物議によって難度が上がったと推測している。
全米オープンをめぐっては、前回シネコック・ヒルズで行われた2004年大会で、最終日に硬くなり止まらなくなった7番グリーンに競技途中に全米ゴルフ協会(USGA)が水をまいて話題に。15年のチェンバーズベイのセッティングは「ばからしいギリギリのライン」(ヘンリック・ステンソン)などと散々の評判だった。
ギリシャ・アテネで第1回の夏季オリンピックが開かれた122年前。伊藤博文の第2次内閣が終わった明治29年。このときから“世界一”を決めるコースの是非は議論の対象になっていたのだ。(編集部・林洋平)