2016年 全米オープン

不屈のダッファーの物語 オークモントにもあった黒人差別(下)

2016/06/15 16:10

タイガー・ウッズの存在

2007年にオークモントCCで行われた全米オープンに出場したタイガー・ウッズ (Ross Kinnaird/Getty Images)

90年代のタイガー・ウッズの登場により、そうした物の見方にも変化が現れたが、それはあくまでも緩やかな変化だった。1995年、ロビンソンがマイノリティのジュニアゴルフプログラムを立ち上げ、とあるクラブへ遠足に行こうとした際、そのクラブの役員は彼に「その子供たちはズボンの穿き方がわかるのか」と尋ねたという。

こうした偏見を本格的に変えたのは2000年代の大幅な景気後退だった。パブリックコースの多くは、ダッファーズが連れてくる6、7組のフォーサムから上がる収益を無視することができなくなったのである。

「今では、彼らは私の電話が待ち切れないんだ!」と内科医でダッファーズのティタイムを予約するエバン・ベーカーは語る。今日、ダッファーズは4月から9月にかけ、17コースで19試合プレーするスケジュールを立てており、その他にも、ミステリートリップとして、毎年コースの新規開拓をしている。メンバーは父親からゴルフを習ったベーカーのような現役から、元市職員で既に定年退職しているデニス・ジェームスのような人まで様々だ。ちなみに、ジェームスは、職場で白人の友人がゴルフのため早めに金曜の仕事から上がっているのを見て、あれは早めに職場を後にする良い方便だと思い、ゴルフを始めたそうである。

ダッファーズのメンバーで偏見に接した経験を忘れた者は一人としていない。10代の頃、アラバマで1ラウンド60セントでキャディをしていたことのある77歳のウォーマックは、白人プレーヤーから脅かされたり、恩着せがましくされたりした際は、パターでアウトドライブできるかどうかと、相手の乗りやすそうな賭けを持ちかけてはお金を巻き上げることでやり返していた。

ピッツバーグのウィルキンスバーグ地区で育ったグラフィックデザイナーのジェフ・アレンは、大学でゴルフの2軍チームの選抜試験に出た際、コーチからそのシーズンは取り止めになったと言われたが、その後、彼は他のゴルファーたちが(単位として)2軍チームの在籍証明を受け取っているのを見て、それが嘘であること知った。しかし、今では、彼らは過去を笑い飛ばすことができるし、彼らなりの“自由連想”に関する議論を進んで戦わせているほどだ。例えば、デニス・ジェームスが白人の友人2人にダッファーズへの入会を約束した際、彼は退会を強いられそうになるほどの抵抗にあったが、この時はダッファーズがそうした差別の撤廃に同意している。

オークモントも発展を続けている。同コースは、ロビンソンの主催するマイノリティのユースゴルフプログラムのための募金晩餐会を何度も主催しており、これにはダッファーズを設立したジェラルド・フォックスの栄誉を称えた2000年の会も含まれる。何人かのダッファーズはこれまで招待されて同コースでプレーしており、同コースへの通り一遍の称賛は惜しまないが、多くのメンバーはバラエティに富んだダッファーズの経験を好むと口にしている。

オークモントのメンバーシップ委員の一人は、アフリカ系アメリカ人のメンバーは、もはやスプリンガー夫妻2人だけではないと明言した。「今は2016年ですよ!」と彼は言う。「我々のメンバーシップの基準を満たしてさえいれば、きょうび、メンバーシップ委員会の中には、人種、宗教、あるいは性的志向により認可に二の足を踏むなんていう人は一人もいませんよ」

エリック・スプリンガーに関して言えば、すでに80代になった彼は、膝を悪くしたためクラブをやめなければならなくなった。近頃、彼がオークモントに行くのは、未だに熱心なゴルファーで週1回のプレーを楽しむセシルのお供のためであり、そんな時は、クラブハウスの図書室で読書をしたり、ジントニックを嗜んだりする彼の姿を見ることができる。そんなスプリンガーは今もユーモアのセンスを失わないでいる。それこそが、彼ら2人が唯一の黒人メンバーだった頃、この場で上手くやって行く鍵だったという。

「こうした場所には2種類の領域がある」とスプリンガーはいささか法律家めいた分析を披露した。「ゴルフを愛する領域とゴルフを愛する人々がその一つだ。そして来る者を拒む領域がある。しかし、このふたつの領域は米国のすべてのゴルフクラブで併存しているのだよ」。

そして、そこで言葉を切ると、白い口髭の下に訳知り顔の微笑を浮かべた。「実のところ」と続けたスプリンガーは、こう結んだ。「それは、アメリカのいかなる場所においても併存しているのだがね」。

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