2015年 全米オープン

史上最短で全米オープン開催を約束されたコース

2015/06/11 07:30

米国Golf Digest誌 2015 全米オープン特集<5>

採掘する山はもうそこにはない。だが、コース設計家のロバート・トレント・ジョーンズ・ジュニアは、18番ティの脇に当時の遺跡をそっと残した。(米GolfDigest誌)

チェンバーズベイがオープンしたのは2007年6月23日。それから8カ月も経たない08年2月7日には、米国プロゴルフ協会(USGA)が同コースで10年の「全米アマチュア選手権」と15年の「全米オープン」を開催すると発表した。この2つの選考では、10年の全米アマに関して既に契約済みだったコングレッショナルCCが、グリーンの再造成を保留するために辞退を申し入れたこと、ウィングドフットGCとシネコックヒルズGCが15年の全米オープンへの立候補を取り下げたことが、大きな助けとなった。

チェンバーズベイに関する発表のタイミングは法律により規定されたものだった。同コースは郡が所有するゴルフコースであり(ちなみに郡有コースで全米オープンが開催されるのも初めて)、その契約を直ちに公にする必要があったのである。

このタイミングは思いがけぬ幸運となった。というのも、すでに地域一帯は景気後退に襲われていた。チェンバーズベイは地域経済の期待や郡の財政支出に見合う代物ではなく、郡の最高長官であるジョン・ランデンバーグはコース造成のために2200万ドルを無駄遣いしたと非難されていた。

「USGAはあの発表により、このゴルフコースを救ってくれた」と、コース設計者のロバート・トレント・ジョーンズ・ジュニアは言う。発表と、その後USGAが前貸しした基金がなければ「チェンバーズベイが現在、存在していたとは思えない。存続には厳しい政治的闘争を強いられただろう。消防士の給料を削ってまでゴルフコースを維持したりはしない」とジョーンズは続けた。

全米オープン開催決定の発表後、チェンバーズベイはドル箱とは呼べないまでも、着実にゴルフ旅行の目的地として客足を増やしてきた。昨年には、初めて利益を計上した。

チェンバーズベイは“最年少”で全米オープンを開催するコースではない。その栄誉は、依然として1948年にオープンし、わずか4年後に全米オープンを開催したダラスのノースウッドクラブが有している。チェンバーズベイは今年の全米オープンの最終日に、オープンから8年と2日を経ることになる。

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