藤田寛之 「原点」からマスターズへ
2013/04/10 13:55
「いらっしゃい。こんな格好ですみません」。
招かれた部屋の中で、藤田寛之は折り畳み式の簡易ベッドの上に仰向けになっていた。ゴルフチャンネルで「タビストックカップ」の映像が静かに流れている。大田敦トレーナーの熱心なマッサージが終わり、43歳は寝ぼけ眼のような表情で起き上がった。
ラフなタンクトップ姿の上半身には、規則正しく電子音が響く機械が取り付けられたままだった。「これ、付けたままでいいですか?」。弁当箱ほどの大きさの、超音波医療機器を慣れた手つきで扱いながら、ゆっくりとソファに腰を掛ける。「マスターズ」開幕2週間前、フロリダ州ジャクソンビル近郊での調整期間中の一幕だ。
1月中旬に痛めた右肋骨。合宿中のハワイで異変を感じた。新シーズンの初戦「WGCアクセンチュアマッチプレー」にまず出場するため2月18日に渡米したが、この3日前には疲労骨折の診断を受けていた。「痛い、痛いって言いながら、治るだろうと思って・・・」。極寒のマッチプレー会場での練習ラウンドは、急きょハーフで切り上げ。強行出場のままマット・クーチャーに敗れ、早々に初戦で姿を消した。
だがその後、拠点を温暖なフロリダに移してからも、患部の痛みは一向に引かなかった。本格的に治療に専念し、3月上旬の「WGCキャデラック選手権」の欠場を強いられた。そしてこの決断は、さらなる苦境を招くことに。世界ランキングで上位50位からはじき出され、2週後の「アーノルド・パーマーインビテーショナル」の出場権も喪失。マスターズの前に参戦を予定していた米ツアーの2試合、貴重な実戦の機会が消えたのだった。