震災10年 東北福祉大卒・松山英樹「やっぱり優勝しないと」
◇米国男子◇プレーヤーズ選手権 事前情報(9日)◇TPCソーグラス(フロリダ州)◇7189yd(パー72)
東日本大震災から10年。松山英樹は日本の14時間後に米フロリダで3月11日を迎える。「あっという間でした。そんなこと言っていたら、次の10年が早いんでしょうけど」。高知・明徳義塾高から東北福祉大に進学して4年間を過ごした仙台は、卒業後も一時帰国した際にリフレッシュを兼ねて訪れる“第2の故郷”でもある。PGAツアー参戦から8年目の今も、被災地への思いはあの時のままだ。
2011年3月、松山は大学1年生。前年秋に「アジアアマチュア選手権」で優勝し、メジャー「マスターズ」を1カ月後に控えていた。オーストラリア・ゴールドコーストでのゴルフ部の合宿中、練習から戻ったホテルで悲劇を知った。テレビの映像を眺め「何の映画? ウソだろう?」。遠く離れた南半球で目を疑った。
今、松山のバッグを担ぐ早藤将太キャディは当時、明徳義塾高の2年生でゴルフ部のキャプテンを務めていた。前年に卒業した先輩のマスターズ出場に合わせて、地元テレビ局の取材を受けていた。「ちょうど部活が始まる時間で。『松山さんをどう思いますか?』とインタビューされていたんです。そうしたら、テレビ局の方たちが『やばい、やばい』と慌てだして…」。不思議な縁を持った記憶は今も鮮明だ。
オーストラリアから帰国した松山は、部員たちとともに東京から救援物資をのせたバスで宮城県に向かった。途中、避難所にも泊まり、食事は数日間カップ麺ばかりだった。寮の部屋の扉は力ずくでなければ開かなかった。オーガスタでローアマチュア戴冠の快挙を遂げた後も大学は5月上旬まで休校で、牛乳配達のボランティア活動もした。
「もう10年経つんだなと思います。だからといって何ができるか分からないんですけどね」。2013年のプロ転向後は義援金をはじめとした被災地支援を行ってきたが、それでどれほど貢献できたかは推し量れないでいる。
「でも、プロゴルファーなんで。結果を出すしかないと思う。それを見て(人々が)何か思ってくれれば」
松山が震災から節目の10年を迎える今大会は昨年、新型コロナウイルス禍でシーズンが中断されたゲームでもある。スポーツ界を取り巻く環境は依然として厳しいが、ギャラリーがコースから消え、戻ってくる過程をこの1年で目の当たりにしてきた。「先週(アーノルド・パーマー招待)もギャラリーが入った。日本だけでなく、アメリカも少しずつファンが増えてきているんじゃないかなというの(実感)はあります」。プロアスリートに求められているものは何か。しばらくのあいだ、ぼんやりしていた本分を再確認しているところでもある。
2017年8月から遠ざかっているタイトルを“ふるさと”に届けたい。「やっぱりこっちで優勝しないと、2位とか、3位ではあまり日本で報道されないと思う。優勝できるように頑張りたい」。真っすぐな思いを抱えてティイングエリアに立つ。(フロリダ州ポンテペドラビーチ/桂川洋一)