世界一のスイング 岡本綾子のテンポと豪快伝説/ゴルフ昔ばなし
日本の男女ツアーは10月に入り、いよいよ賞金レースが本格化します。ゴルフライターの三田村昌鳳氏とゴルフ写真家・宮本卓氏による対談連載は女子プロのレジェンド・岡本綾子選手を特集中。世代や性別を問わず、多くのゴルファーが感銘を受けた世界一のスイングについて振り返ります。本編最終回の今回は、米国での旅をともにした宮本カメラマンに当時の戦いぶりの裏側を“暴露”してもらいましょう。
■ 伝説的女子ゴルファーに憧れたスイング
―岡本選手のスイングは、国内外で高い評価を受けてきました。石川遼選手はジュニア時代にそのスイングを繰り返し見て基礎を作り、ゴルファー以外にもプロ野球・イチロー選手の父・宣之さんも岡本選手のリズムとテンポに感銘を受け、のちにメジャーリーガーとなる愛息にアドバイスを送ったといいます。
三田村 岡本さんに聞いたところ、彼女のスイングの基本は「外角高めのボールをピッチャー返しする」というイメージ、そういうタイミングで打っていたという。ソフトボール出身とあって、当時としては独特の感性を持っていた。
宮本 ソフトボールの投手らしく、手首の柔らかさがまず素晴らしかった。そして、彼女はサウスポー。今では、ジョーダン・スピースなんかが「左利きで右打ち」の代表選手にあたるが、岡本さんもインパクトの後に右腕が高く伸びて、美しいフィニッシュを作った。少しトップでシャットになった後は、オンプレーンでクラブが下りてくる理想的なスイング。“女性版ベン・ホーガン”と言われたミッキー・ライト(1935年生まれ・米女子ツアー通算82勝)の動きに憧れたそうだ。
三田村 もちろん下半身の強さがベースにあって、腰の回転、粘りの強さが並外れていた。野球選手もゴルフがうまい人に投手出身が多いのは、お尻が大きく、手首の柔らかさがあり、投球動作で体を回転させる動きがゴルフスイングと似ているからだと思う。一方で岡本さんはゴルフの世界の飛び込んだ直後は、投手としてのソフトボールとゴルフのゲーム性の違いに苦しむこともあった。投手は打者を打ち取るためにストライクだけでなく、“ボール”を3球投げられる。意図的にボール球を3回投げることによって、ストライクゾーンに投げるボールを生かすという駆け引きがあった。でもゴルフはそうはいかないでしょう(笑)。
宮本 スイングの美しさはもちろんだが、岡本さんはなにせリズムとテンポ、タイミングがいつも一定だった。どんな状況にあってもそれが崩れない。そこに強さがあったと思う。
■ 世界のアヤコの順応性と試合前日の“アイロン”
三田村 ソフトボール時代に憧れた米国に渡った後、岡本さんは優れた順応性を見せた。取材に出向いたとき、僕が「飛行機のせいで荷物が届かないんだ」と愚痴をこぼすと、彼女は「三田村さん、そんなことは何でもない」とこともなげに言った。「海外は、アメリカはそういう国。日本とは違う。例えば、アメリカのファストフード店でフルサービスを期待するのは間違い。フルサービスを受けるには、それ相応のお金を払う必要がある」と。その順応性、環境を受け入れて、ある意味では“悟る”ことはゴルファーにとっても大切なことだと思う。ボビー・ジョーンズはアドバイスを求められると「根を詰めるな」と言った。ジャンボ尾崎もそうだったが、岡本さんは「スイングの完璧さ」を求めていなかったと思う。周りからはパーフェクトだと言われていてもね。ゴルフは気候もコースも毎日違う、自身の体調も違う。ライは一打、一打違う。だから完ぺきなスイングが通用するとは限らない。そう悟って、初めてゲームに、スコアメークに集中できるんだと思う。
宮本 驚かされたのは、1989年の「全米女子オープン」。3日目のプレーを終えて、みんなで夕食をとって別れたんだけど、翌朝の岡本さんは、手の指10本全部にばんそうこうを巻いていたんだ。どうしたのか、と聞くと「食事の後、ホテルに帰ってからウエアにアイロンをあてていたら、熱いところを触ってしまった」という…。それが、ホールアウトしてみたら「65」。なんと大会のベストスコアを記録してしまった。(現在の記録は1994年大会で第1ラウンドにヘレン・アルフレッドソンがマークした「63」。最終日のベストスコアとして「65」はいまも残る記録)。置かれたそれぞれの状況で「できること」を常に模索しながら、スコアを作っていく強さがあったんだ。
■ 待望のプライベートラウンドが二日酔いで…
―岡本選手は現役時代から大のお酒好きとしても知られていました。宮本さんも米国遠征時はたびたびそれに付き合った…と。
宮本 やっぱり当時のプロスポーツ選手らしく、飲むときのお酒の量は並の人とは違ったよ(笑)。二日酔いに近い状態で試合に臨むこともあったんじゃないかな。前半は静かなゴルフをしていたのに、ハーフターン後にいきなり6アンダーとかを出すこともあった。そういう時は、酒でむくんでいた手が元に戻ってきてたんじゃないか…と思っていた(笑)。それほどセンシティブなプレーヤーだったからね。豪快な人で、ボギーをたたいた後によく仮設トイレに行ったんだけど、パターをトイレに忘れて慌てていたときもあったなあ。
宮本 二日酔いで忘れられないのが、1994年オハイオ州でのプライベートラウンドでのこと。僕が岡本さんの試合の撮影をした後、ジャック・ニクラスがホストする「ザ・メモリアルトーナメント」に取材に行くという話をしたら、彼女も「行きたい」と言い出した。あの試合は毎年、ニクラスがゴルフ界に貢献した人物を表彰する。岡本さんはニクラスも大好きで、その年の表彰者はミッキー・ライトだったんだ。オハイオに行くついでに、ニクラスが育った名門コース・サイオトCCでプライベートゴルフをすることになってね。プレーの前夜から彼女は大喜び。
三田村 それは当然、お酒もすすみそうだね(笑)。
宮本 翌朝のスタート前に「…気持ち悪い」と言い出すから、こっちもビックリ。岡本さんは賞金女王になった後で、米国でもすでに有名だったからティグラウンドの周りには、コースのメンバーさんが何人も出迎えに来ていたんだ。だから僕は「とにかく前のホールに進みましょう。1番ホールだけでもしっかり打ってください」と、ささやいた。ところが、岡本さんの1Wショットはなんと“チョロ”…。そうしたら、彼女はすかさず「マリガン(ティショットの打ち直しのこと)」と、ひとこと言って、周りを大笑いさせた。でもその打ち直しが、素晴らしいショットだったからまた盛り上がったんだ。まあ、“ギャラリー”がいなくなった2ホール目からはメチャクチャだったけどね(笑)
■ 世界のアヤコが残したもの
―岡本選手は2005年の日本ツアーでの試合を最後に現役を退いてから、テレビ解説業のほか若手選手の指導にもあたりました。日本女子プロゴルフ協会の競技のセッティングアドバイザーを務めるなど、ゴルフ界に広く貢献しています。
三田村 岡本さんは、自分から手を挙げて何かを発し、全体をまとめるという性格の持ち主ではなかった。「来る者拒まず。去る者追わず」という姿勢。彼女は技術的なことはもちろんだが、ゴルフとの向き合い方についても理想的なものがあった。
宮本 彼女はよくダフるミスショットをしたけれど、その時に怒ったり、人を不快にさせたりするような仕草をしなかった。笑うか、はあ…と、ため息をつくといったくらいでね。
三田村 「最近の若い選手はラウンド中にどうして腐ってしまうのか」と聞いたことがあった。岡本さんは「それは人に対する思いやりがないからだ」という。「だから私は、若い選手は恋愛をして、相手に対する思いやりを学んだほうがいいと思う」と話していた。それは何も、ゴルファーに限ったことではないかもしれないね。
宮本 岡本さんは素晴らしい実績を残しながらも、最後までメジャータイトルに手が届かなかった。口には出さないが、樋口久子さんの「全米女子プロ選手権」制覇というのは、いつも頭にあったと思う。黄金時代はすべてのメジャーで毎年優勝争いをしたけれど…。ナンシー・ロペス、パット・ブラッドリー、パティ・シーハン、ベッツィ・キング…本当に強い選手ばかりいた時代に彼女は戦った。最後に出場した1995年の「全米女子オープン」のとき、開催地のコロラド(ブロードモアGC)にお世話になった人たちを呼んだ。そこで勝ったのがアニカ・ソレンスタム(スウェーデン)だったんだよね。アニカも最初は目立つような存在ではなかったけれど、そこから彼女の時代が始まった。岡本さんはメジャー優勝という形で記録には残らなかったが、あの美しいスイングだけではなく、リズムやテンポの良さ、ポイントを狙った鋭いショットは誰の胸にも焼き付いているはずなんだ。