ゴルフ昔ばなし

石ころから特許技術へ ゴルフを変えたボールの物語/ゴルフ昔ばなし

2019/09/04 07:24
JGAゴルフミュージアムを訪ねて。今回はボールの歴史に注目

ゴルフライターの三田村昌鳳氏とゴルフ写真家・宮本卓氏による連載対談「ゴルフ昔ばなし」は令和元年に兵庫・廣野ゴルフ倶楽部内にある「JGAゴルフミュージアム」を訪問。ゴルフの歴史を紐解くべく世界から集められた展示品を紹介します。約200年前のクラブに着目した初回に続き、第2回はボールの変遷を探ります。

羽毛にゴム…ボールの材料は

鳥の羽が中身だったフェザー・ボール。およそ200年前のもの

―発祥地が諸説あり、そのスタートがいまひとつはっきりしていないゴルフの歴史。転がるものを木で打ちあったり、穴に入れたりする遊びが原型のようですが、そもそもその“ボール”は何でできていたんでしょう。

三田村 最初は石ころや木だったボールはその後、まず「フェザー・ボール」が主流になった。ガチョウの羽(フェザー)を動物の皮で包み、縫い合わせたもの。本の中では「羽の量がシルクハット一杯分だった」とか、「羽を詰めるのに一晩かかった」「羽を詰めるのはゴルファーの妻の役割だった」なんて言われているけれど、ロマンチックな言い伝えかもしれないね。
宮本 中国にも日本にもゴルフに似た同じような遊びは数百年以上前からあった。いまひとつその起源が分かっていないけれど、道具の歴史についてもヨーロッパのゴルフのミュージアムでも同じようなことが言われている。

100年以上前に主流だったガッタパーチャ・ボール。すでにディンプルがある

三田村 その後、19世紀になって「ガッタパーチャ・ボール」ができた。ガッタパーチャ(gutta percha)は天然ゴムの一種で、この木の樹液を固めてつくったもの。たこ焼きをつくる鉄板みたいなものに樹液を入れた、いわば“1ピース”のボールかな。
宮本 文献には1864年にセントアンドリュース大学のピーターソン教授のもとに届いた、ヒンズー教の神像を包むゴム状乾燥樹脂ガタパチャにヒントを得て、息子のロバートが発明したとある。価格としてもフェザー・ボールよりもかなり安かったことが、ゴルフの普及につながったと言われているよ。

ガッタパーチャ・ボールの材料になった樹液

三田村 ガッタパーチャ・ボール時代に大きく変わったのが、いまの“ディンプル”(ボールの表面を埋め尽くすデコボコ)の原型ができたこと。新しいボールを使ううちに、ある程度傷がついていたほうが、空気抵抗の関係でよく飛ぶことが分かってきたんだ。フェザー・ボールの時代は傷がつくと中の羽毛が飛び出してしまうから、すぐにダメになっていたけれど。いまのボールは小さな凹みが密集しているけれど、最初は突起しているディンプルもあったんだ。

ガッタパーチャ・ボールをつくるクランク(型)。樹液が原料だったボールは形が崩れても再生可能だった

ゴルフ界の大革命!糸巻きボールの出現

1899年に発明された糸巻きボールはハスケルボールとして知られていた

三田村 その後のゴルフを大きく変化させたのが「糸巻きボール」の誕生だ。もうこれはゴルフの大革命と言っていいと思う。1899年、アメリカのコバーン・ハスケルが発明したもので、液体や固体を芯にして、その周りを糸でぐるぐる巻きにして反発力を高めた(その周りを樹液などで固めてカバーした)。当初は「ハスケル・ボール」と呼ばれ、どのクラブでもガッタパーチャ・ボールよりも平均40ydくらい飛んだ。このおかげで、ゴルファーは急激にスコアを縮めることになったんだ。昔はホールそれぞれの規定のスコアがボギーだったのが、みんなのスコアが良くなることで、いまのようにパーになった。当時は考えられなかったバーディやイーグルも、この革命なしでは生まれなかったかもしれない。
宮本 我々の時代はね、ボールが大きさで選べた。糸巻きボールのなかでも「スモール」と「ラージ」で。R&AとUSGA(全米ゴルフ協会)がそれぞれの口径の規定を決めたんだ(スモールは直径1.62インチ以上、ラージは直径1.68インチ以上と定めて公式球とした)
三田村 1990年の改定で現在のルールでは1.68インチ以上となっている(1974年から全英オープンではスモールボールの使用が禁止されていた)。日本では微妙な大きさの違いはあるんだけど、大きな流れでいうとラージからスモールへ、またラージへ…という変遷もあった。

ウッドはメタルへ…そしてボールは2ピースへ

数十年前のゴルフボールのパッケージ

三田村 糸巻きボールに代わってその後、台頭したのが「2ピース・ボール」(ソリッドボール)だ。多重構造でいまでは3ピースや4ピース、5ピースというものまであるよね。1960年代にスポルティング社が糸に代わるコアやカバーの研究を進めて開発したが、実際に主流になったのは2000年前後かな。日本では糸巻きボールの製造においてダンロップがロイヤルマックスフライというベストセラーを生み出し、AON時代は一般ゴルファーの間でも大流行。一方で、ブリヂストンは2ピース・ボールに関する多くの特許や技術を持っていた保土谷化学工業の力を得て、新時代のボールを製造した。ゴルフ用品の製造にはあらゆる特許がからんでいる。ディンプルの形も全然違うが、原料やその配合に至るまで特許だらけ。
宮本 2ピースが出始めた当時はまだ高価で…。イギリスのスラセンジャーというブランドのボールなんか、一つずつ紙に包んであったよ(笑)
三田村 2ピースを使ってみて、私がまず驚いたのが「割れない」こと。耐久性に優れていた。糸巻きは“生もの”ともいうべきか、実は1週間持つか、持たないかとも言われていた。引っ張りながら芯に巻き付けていくから、劣化すると切れてしまう。
宮本 ボールは芯がちょうど真ん中になければ、ショットが曲がってしまう。当時の技術では製品にどうしても微妙な個体差が出てしまい、ものによってばらつきがあった。プロゴルファーにとっては、その選手のためにメーカーが好みのボールを作ってくれるということが、大きな価値だった。
三田村 初めのうちは「2ピースは硬い」と嫌がるプロも多かった。糸巻きのソフトな打感を好んだゴルファーは多かったんじゃないかな。
宮本 ツアープロが各メーカーと契約する際には、その時々において「ほかに誰と契約しているか」という点も重要だった。自分のためにどれだけ良いものを作ってくれるか…というところを悩んだわけ。20世紀の後半はウッドが木製からメタルになった。平成の初期はクラブも、ボールも大きな変革期。ジャンボ尾崎中嶋常幸に代表されるレジェンドたちは、どんなにクラブやボールが変わっても、その都度克服する強さを持っていたように思う。