<ベテランが起こした静かな感動・・・佐藤信人の復帰元年に注目だ>
若い力が突如として開花する瞬間は、それを見届ける者の心も躍るが、ベテランの劇的な復活は、それ以上の感動と喜びがある。たとえば佐藤信人だ。
通算9勝。片山晋呉と谷口徹と賞金王を争った時代もある。もともとパットの名手も相まって、当時は神がかり的な距離を入れまくって、面白いように勝ち星を重ねていった。その勢いで、欧州ツアーにも参戦。まさに破竹の勢いであった。それだけに、そのあとの転落ぶりが際立った。
まずひとつは、得意だったはずのパッティングでイップスにかかったことが大きい。それと持病の腰痛の深刻化。さらに精神的なダメージも加わった。青白い顔をして、「鬱かもしれないです」と、打ち明けられたときには返す言葉も見つからなかった。そしてついに2008年にはシード落ち。出場権さえ失って、一度は表舞台から消え去った。
まさにどん底まで落ちた佐藤の姿に、胸を痛めていた人はきっと多かったはずだ。あのころの佐藤は本当に強かった。しかしどんなに勝ち星を重ねてもこの人は、いつでもどこでも謙虚だった。石川遼の出現をきっかけに、ゴルフに興味を持ってくださった世代の認知度は低いかもしれないが、当時の佐藤を知る人は誰でも言うと思う。「彼は本当に良い人だ」と。
プロゴルファーとしてよりもまず、一人の人として、佐藤という選手を支持された方が、当時から非常に多かったと思う。いまやすっかり流行のブログも、ツアーでもっとも早くから始めた選手の一人だった。活躍するたびに届く大量の応援メールにも、「自分の言葉で書きたいんです」と律儀に、徹夜してまでもすべてに丁寧に返信をしていたことを思い出す。
しかし、最初の兆候は、皮肉にもそのブログを閉鎖したころからだった。会場に来ても常に目はうつろで、悩みの深さが垣間見えた。絶好調だったころは、仲良しの手嶋多一と、互いに面長の顔をからかい合って「アゴ星人」などと呼び合って周囲を笑わせたり、あっけらかんと「痔」の発症を打ち明けたり、笑いのツボ満載のトークも、すっかりと影を潜めてしまった。
本人も話していたが、本気でプロゴルファーの廃業も考えた時期もあるという。周囲も「もしかしたらこのまま・・・」と、危ぶんだ向きも多かっただろう。それだけに本人も思わず涙した、昨年の日本オープンでの復活劇には拍手喝采が鳴り止まなかった。
谷口や藤田寛之らのように、40代を超えてもなお第一戦に立ち続けるのはもちろん誰にでも出来ることではない。でもきっと佐藤のように、一度は底辺まで落ちて、そこから再び這い上がってくるにはそれ以上の底力が必要だ。それだからこそ、人々の感動を呼ぶのだろう。
佐藤にはもうひとつおめでたい話があって、昨年末には結婚11年目にして同い年の妻・裕子さんとの間に待望の第一子を授かったばかりだ。「良いことって続くんですねえ」と、本人もしみじみと言った。42歳にして新米パパになった佐藤の活躍にも励まされる1年になりそうだ。