<お兄ちゃんが被災地で見たこと、感じたこと>
宮里家の長男、聖志が「生まれてこのかた、まだ一度もスキーをやったことがない」と打ち明けたときは、本当かなと思った。確かに、雪山にはとんと無縁の沖縄県の出身ではあるのだが、高校、大学と大阪だったし、トライする機会がまったくないわけではなかった。
中でも最大のチャンスは結婚して7年になる妻の博子さんとの出会い。というのも典型的な秋田美人の博子さんは、プロのスノーボーダーでもあり、ウィンタースポーツならまさにお手の物なのだ。まして現在は、夫婦の拠点を仙台に置いており、聖志にも始めるきっかけは大いにあったわけである。「私も何度も誘ったんですけどねえ・・・」とは、苦笑いの博子さん。そうですよ、教えてもらえばいいのにと、たきつけた周囲に「いや、だからこそ、絶対に嫌なんですよ」と、聖志。
「嫁に上からモノを言われるなんて、絶対に嫌です」と、頑として言い張ったのは、プロのプライド。「そこは絶対に許せない」と、たとえ分野が違っても、プロスポーツ選手であるからには相手が嫁でもライバルはライバルなのだ。「そりゃそうですよ、嫁に教えを乞うなんて、ありえない!」と、妹の藍さんにはいつもデレデレの“お兄ちゃん”も、そこはバシっと線を引く。意外と頑固な一面をのぞかせた聖志だが、やっぱりこの人の心根はあったかい。
中学時代、練習中に友人のクラブが顔を直撃。流血騒ぎにも、母・豊子さんには「そこにいた俺が悪いのだから」と最後まで友人をかばい通したという優しさは、あのときのまま。先週は、ちょうど震災から1年が過ぎた被災地の宮城県女川町の小学校を訪れたときのこと。その道中はいつになく無口だった聖志は、あとで「気が重かった」と打ち明けた。「子供たちに、どうやって話せばいいのか、そればっかり考えた」という。
いよいよ町に入った瞬間に眼下に広がった港の景色が、そんな聖志に追い打ちをかけた。いくつかのビルが横倒しになっている以外、ほとんどが砂利と化した町。小学校はその先の高台にあった。今もそこで暮らす子供たちを前に、いったいどんな言葉をかけたらよいのか。
「いや・・・・・・、むしろ普通でいいんですよね」と、何度かつぶやいた聖志は意を決したように子供たちの前に出ていった。思いのほか明るい笑顔にまずは安堵しつつも、一人の子供の「ストレス解消になった」との言葉には、ひそかに顔を曇らせた。今も仮設住宅で窮屈な思いに耐えながらもけなげに生きる子供たちに、「俺のほうが元気をもらった」とは、これ以上の表現も見あたらなかった。
午前中のスナッグゴルフ講習会では、子供たちに怪我がないようにさりげなく目を配り、午後から音楽室で6年生を対象に開いた講演会では、床に直に腰を下ろして話に聞き入る子供たちに、「お尻、冷えてない?」と何度も気遣い、終わってから控え室でもなお「みんなお尻、大丈夫だったかなあ・・・」と心配そうにしていたのは、折しも小学校がインフルエンザの大流行中で、授業中にも体調不良を訴える子供たちが続出したことも背景もあった。
「でも、今日で良かったよね。今のうちに、かかっちゃったほうがね」と、講習会の最中にも、ぐったりと体育館を出て行く子たちを見送りながら聖志は言った。同校では次週に大事な卒業式を控えており、「今のうちに休んでおけば、卒業式にはみんな揃って出られる」と聖志は考えた。「当日こそみんな元気に学校に来られますように」。祈るようにお兄ちゃんは言った。