国内男子ツアー

ツアープレーヤーたちのゴルフ伝道の旅

2010/02/01 10:20
地元茨城の県立盲学校で熱い講義を行った片山晋呉

昨年まで2年連続の選手会長をつとめた宮本勝昌が先導して起ち上げた“ゴルフ伝道の旅”が、今年も始まる。選手たち自らが各地の小学校を訪問し、ゴルフの楽しさや奥深さ、そしてゴルフを通じて夢を持つことの意義を伝えて歩く取り組み。旅は選手たちを“丸裸”にする。

子供たちの無垢な瞳にやられるのであろうか。出会いは図らずも、それまで誰にも知られていなかった選手の素顔を白日のもとにさらけだしてしまうのだ。門をくぐって早々に、校歌やブラスバンドの演奏で選手たちを歓迎してくれる小学校は多いが、まず間違いなくこの段階で選手たちは、ホロリと来てしまう。

いや、「それぐらいで!?」と思われるもいるかもしれないが、講堂や校庭に響く澄んだ歌声を実際に耳にしてもらえばご理解いただけると思う。それだけでもう、十分に感動に値する。

「僕のためにこんなに一生懸命に・・・」という感謝の気持ちは、次の講習会や講義で選手たちに見えない力を与える。「絶対に子供たちに何かを伝えて帰りたい」との思いを強くして“教壇”に立った選手たちはみな、本職の先生たちをうならせるほど珠玉の“授業”を披露してみせるのだ。

中でも地元・茨城県水戸市の県立盲学校で行った片山晋呉の講義は、関係者の間で今でも語り継がれるほどだ。それほどに熱かった。いじめにあって、登校拒否になった小2のころのつらい思い出。なんとか息子が学校に行けるようにと手を尽くしてくれた両親への感謝の気持ち。

毎朝5時44分の電車に乗り、1時間40分かけて朝練に通った茨城の名門・水城高校時代。いざ授業では寝てばかりで「何のために学校に来ている」と先生に叱られて、「ゴルフのためです」と言い返したのはけっして褒められたものではないが、それほどまでにゴルフを愛していたことが伺えるエピソードだ。

大先輩・丸山茂樹の自宅に居候しながら、その技を盗もうと必死だった日大時代。プロ入りを決めたのもこのころだった。徐々にプロの試合にも出られるようになり、“仮想賞金”は1400万円ほど。「これなら食べていける」と、反対する両親を説得し、いざデビューを果たした途端、鳴かず飛ばずの日々・・・。

手をこまねいている間に父・太平さんがガンでこの世を去った。一度も優勝シーンを見せることは出来なかったが、永久シードの25勝を達成した前年の日本オープンは、「きっと天国で見ていてくれたと思う」と、言った瞬間に堪えきれずに片山は号泣した。

あのとき教室が、確かに感動の波で揺れた。賞金王のルーツが見えた。片山の魂の講義と言ってもよかった。今年もまた、選手たちがどんな感動の授業をしてくれるだろう。2010年の旅のスタートは今週5日。18年連続賞金シードの鈴木亨が、兵庫県加東市の三草小学校を訪れる予定だ。