米国で味わった失意 有村智恵が復活Vを遂げるまで
◇国内女子◇サマンサタバサ ガールズコレクション・レディーストーナメント 最終日(15日)◇イーグルポイントゴルフクラブ(茨城県)◇6588yd(パー72)
首位と2打差の8位タイから出た30歳の有村智恵が、2012年以来6年ぶりとなるツアー通算14勝目をあげた。6バーディ、ボギーなしの「66」。1打リードの単独首位で迎えた最終18番では「入れれば勝てると思っていた」という2.5mのバーディパットを沈めて通算13アンダーとし、響き渡った大歓声をうけ「いろんなことが思い返された」と目を潤ませた。
06年のプロテストに合格後、08年から12年までに13勝を挙げる活躍。13年から主戦場を米国に移したが、順風満帆とはいかなかった。11年の夏に痛めた手首の影響で調子を落とし、何をやってもうまくいかず涙を流しながらプレーしたこともあったという。
「自分を信じてプレーしてもガッカリさせられる結果が続いた」とシードを維持しきれず、15年からは下部ツアーを転戦。いつしか「心も死んでいった」と振り返る。練習場に出向くはずの足が動かなくなったこともあった。「どうせまた駄目だろう」と自暴自棄になり、「日本に帰りたい」と思う時もあったが、それでもアメリカで頑張りたい気持ちが強かった。
「好調だったころの自分に早く戻りたくて、あの時の感覚を思い出してやろう」という焦りが悪循環を生むこともあったが、宮里藍さんの励ましの言葉にも救われた。良かったときの自分ではなく、「“去年”に比べて良ければ。“昨日”に比べて良ければ」と、理想のハードルを下げることで、徐々に前向きになることができた。
そんな折、16年4月14日に故郷の熊本県が震災に見舞われた。有村は地震発生時、地元開催の国内女子ツアー「KKT杯バンテリンレディス」に出場するために、たまたま実家に帰っていた。周囲のほとんどの世帯が停電し、水道も絶たれ、部屋には割れたガラスが散乱。仏壇や棚も倒れ、積み重ねた勝利の証である優勝トロフィーも多くが割れてしまった。地元を襲った惨劇がきっかけとなり、米国ツアーへの未練を断ち切って、主戦場を再び日本に戻すことを決めた。
復帰以降は優勝から遠ざかっていたが、ルーク・ドナルドが師事するパット・ゴス氏を3年前からコーチに迎えて、技術を磨いてきた。「グリーン周りもうまくなったし、ショットの技術も上がった」という自信は、5月「ほけんの窓口レディース」で4位、6月「宮里藍 サントリーレディス」で2位に入ったことで確信に変わっていった。「若手の壁になって、できるだけツアーに出て勝利を重ねたい」。傷を負った優勝コレクションに6年ぶりに加わったプレートとともに、強かった有村がようやく戻ってきた。(茨城県阿見町/柴田雄平)