国内男子ツアー

永久シード選手が杉原輝雄氏をしのぶ/お別れの会

2012/02/13 18:32
永久シード選手を代表して最年長となった青木功が弔辞を読み上げた

昨年12月に前立腺がんのため逝去した杉原輝雄氏の「お別れの会」が13日(月)、大阪市内のホテルで行われ、献花に訪れた一般のファン、そして696人の関係者が参列。杉原氏が亡くなったため、6人となった男子の永久シード権保持者も、“ゴルフ界のドン”の遺志を受け継ぐことを誓った。

青木功
「生涯、ゴルフファーとしていたことを受け継いでいきたいと思う。(杉原は)死ぬまで現役でいたんだ。健康管理に気をつければ、ゴルフはそれだけできるということ。後から俺も追いかける。口うるさい人だったよ。勝負に対してすごく厳しい人だった」

尾崎将司
「いち早く僕にライバル心をぶつけてきた人だった。またグリーン上に一緒に立ちたいと思っていた。最初のうちは数十%か可能性があったけれど、0.1%も無い可能性にもかけていた。同じ勝負師としてもうらやましく思う。僕が悪かったとき、何度も声をかけてくれた。自分も最後まで自分の道を貫きたい。(天国で)最後まで尾崎の生き様を見守ってもらいたい」

中嶋常幸
「杉原さんとの思い出は・・・怒られてばかりだったね。プロに入ってから、マナーもたくさん教えてもらった。努力してこそのプロ、という姿勢も教えてもらった。『ゴールは遠い。目標は高くしなさい』と言われた。あの人ほど努力した人はいない。自分は足元にも及ばないが、少しでも近づけるようにしたいと思う」

倉本昌弘
「杉原さんの言葉を伝えていくのが我々の使命。(1980年に史上初めて)アマチュアで優勝したとき、『倉本がプロテストを受ける必要は無い』とPGAに働きかけてくださった。(結局、倉本は翌年プロテストを免除されなかったが)そのことがあったから、石川遼がプロテストを受けずにプロになること(現行の制度)にも繋がったと思う。杉原さんは先駆者だった。今、選手会長をやらせていただいているのも、何かの縁かなと思う。我々もいつか良い報告ができるようなゴルフ界になれば」

尾崎直道
「会うといつも、はっぱをかけられた。アメリカで勝てず、日本でやると『何しとんや、お前』と厳しくね。杉原さんの辿ってきたものを、自分でも探して歩いていきたい。生き様が教えだった。僕も小柄だったので、杉原さんの真似もした。どうやったら曲がらず、真っ直ぐ打てるのか繰り返し練習した。(天国で)『しっかりやれよ』と言っているとしか思えない。しっかりとやっていきたい」

片山晋呉
「『挨拶をするように』と若い選手に言うよう、教えられたことを覚えています。小柄ながら大きな選手に立ち向かっていった勇姿。僕もその精神力を強く持って、これからもやっていきたいと思う。杉原さんが大事にしていた、『ゴルフを長く好きでいる』ということを受け継ぎたい。(天国で)ゆっくり好きなゴルフを思う存分やってほしいと思います」