三田村昌鳳が語る日本オープン(3)
この40年という日本オープンの歴史の中で、やはりAONの存在と日本オープンに対する執着心は、日本のレベルを上げただけでなく、日本オープンの価値観そのものを引き上げたといってもいいだろう。
ドラマをひとつひとつあげたら、語り切れない。
中でも1986年と1988年のAON対決は、圧巻だった。
86年大会は、神奈川県戸塚カントリーだった。中嶋常幸、青木功、尾崎将司が、優勝争いをしていた。3日目を終えて、尾崎直道が首位。1打差で青木。2打差で中嶋。そして3打差でジャンボ……。4打差に12人の選手がひしめいていた。そして最終日、尾崎直道が75と崩れた。
「力み過ぎだよね。まだ精神的に弱い」とクラブハウスを去っていった。直道は、その後、1999年、小樽カントリーの大会で優勝を果たすことになる。小樽は、史上最高難度と呼ばれたコースだ。直道にとっては、13年の歳月を経ての勝利だった。
試合は、ジャンボ、中嶋、青木の戦いに絞られた。
最終ホール。先にホールアウトしていたジャンボは、通算3アンダーだった。中嶋がボギー。青木がパーでホールアウトすれば、3人のプレーオフとなる展開だった。
ジャンボはグリーンサイドで、青木と中嶋のプレーを見守っていた。青木は、2オン。残り6メートル。そして中嶋は、グリーンエッジ。ピンまで6メートル。中嶋が先に打つ。30センチに寄せた。パーは間違いないと確信したジャンボが、席を立った。
中嶋が青木の6メートルのバーディパットを見つめていた。
「お願い、入らないで!」と心の中で祈っていたという。その青木のパッティングは、わずかにショートした。中嶋の連覇だった。日本人選手として50年ぶりの快挙だった。
AONという時代が、正真正銘やってきた瞬間だった。
その翌年は、青木功が、さらに翌1988年には、尾崎将司が14年ぶり2度目のタイトルを獲得したのである。
このジャンボの優勝は、いまでも語り継がれる大会だった。ここでもAONが競い合った。そして18番ホール、残り70センチの距離をジャンボが、2度も仕切りなおししたシーンが伝説的に語られている。