「シャイ全盛期」岩田寛の18年前・日光での回想
◇国内メジャー◇日本プロゴルフ選手権 初日(1日)◇日光カンツリー倶楽部(栃木県)◇7236yd(パー71)
東照宮から直線距離にして西にわずか5㎞、1955年に開場した日光カンツリー倶楽部で男子レギュラーツアーの競技が行われたのは2003年の「日本オープン」だけ。北関東の名門は多くのプロにとって馴染みは薄い。40歳の岩田寛も、過去に訪れたのはプライベートでの1回だけだという。
ただ、その1日の記憶が今も鮮明だ。18年前、ナショナルオープンの数週前のこと。東北福祉大を卒業して数カ月のアマチュアだった岩田は、大会に出場する後輩選手に誘われて練習ラウンドに付き添う格好になった。「マジで緊張した」と思い出すのは、その日、知人を介して一緒にプレーしたのが片山晋呉だったからだ。
「僕はまだプロになる前。晋呉さんはオーラがあって。“ビンビン”でした」というのも無理はない。当時の片山は2000年に初めて賞金王になり、岩田と会った翌04年からは3年連続で再びマネーキングの座に君臨(08年を含め計5回)した全盛時代だった。
ラウンド中もさることながら、練習場で眺めていたらそのマシンのようなショットに岩田は目をむいた。「球が真っすぐしか行かない。ずっと同じところにしか行かないんです。ウッドで打っても、同じところに飛んで、同じところに落ちる。『なんで(わざわざ)練習してんだろう…』って思った」
話すチャンスもあったが、言葉よりも「目ヂカラ、スゲーな」と驚いた。「どんだけ人の目を見てしゃべるんだよ…って。(自分は)“シャイの全盛期”だったんで、そんな目で見られても無理ですよ…って」。迫力に思わず後ずさりしたものと思われる。
今大会開幕3日前、コースチェック中に片山の姿を見つけて昔話に花を咲かせた。その脳裏に「覚えてる」とあの日の思い出が残っていたことがうれしかった。喜び勇んで迎えた初日は首痛に悩まされながらも5バーディ「66」をマーク。片山らと並んで5アンダーの2位で滑り出した。「首が痛くて逆に良かったかなと。謙虚になったというか、丁寧に…。うーん、難しいな、(力いっぱい)振れないので。“なんとか”って感じです」。シーズン2勝目、国内メジャー初タイトル獲得となれば、日光の記憶は一層華やかになる。(栃木県日光市/桂川洋一)