金谷拓実「世界一になりたい」ナンバーワンアマの実力証明
◇国内男子◇三井住友VISA太平洋マスターズ 最終日(17日)◇太平洋クラブ御殿場コース(静岡)◇7262yd(パー70)
スライスラインの上を勢いよく伝っていく。ボールを飲み込むカップの響きが、次なる快挙の瞬間を告げた。21歳の金谷拓実(東北福祉大3年)が1973年の日本男子ツアー制施行後、史上4人目となるアマチュア優勝を成し遂げた。単独首位から「65」をマークして通算13アンダー。一時は2位に後退しながらイーグルフィニッシュでショーン・ノリス(南アフリカ)との最終組対決を1打差で制した。
世界アマチュアランキング1位の実力は逆境で発揮された。7番、9番をいずれも3パットボギーとして1打ビハインドで迎えたサンデーバックナイン。11番のボギーで2打差にされても12番でバウンスバック、15番からはノリスとともに2連続バーディを奪ってマッチレースを譲らなかった。
「パットのスピードが全然合わなくて。でもとにかく自分のベストを尽くそう」。その思いは71ホール目以降で結実する。ライバルが17番(パー3)をボギーとして首位に並ぶと、18番(パー5)は第1打を3Wでフェアウェイをキープし、残り220ydで5Iを握った。池越えの低い弾道は悲鳴を浴びながらピンが切られた奥の段まで到達。「ミスショットでした。池を越えてくれと思った。ラッキーでした」。2017年の「日本オープン」では激闘の末に池田勇太に敗れ2位に終わった。もう、失うものはない。「入れることしか考えなかった。強めに打ちました」。7mのイーグルパットで決着をつけた。
両親の手ほどきを受けて5歳でゴルフを始めた。地元・広島で天才少年として注目され、2015年に最年少の17歳で「日本アマチュア選手権」を制覇、同年「日本オープン」で最年少ローアマを獲得。輝かしいキャリアを引っ提げたが、広島国際学院3年時にプロツアーの予選会を失敗し大学進学を選んだ。初めてともいえる挫折を経て、昨年の「アジアパシフィックアマチュア選手権」優勝からことし「マスターズ」に出場。4日間を戦い抜いた。
1980年「中四国オープン」の倉本昌弘、2007年「マンシングウェアオープンKSBカップ」の石川遼、11年の同大会の松山英樹に続く4人目のアマチュア優勝。東北福祉大OBの先輩である松山は当時、同じように最終ホールをイーグルで締めくくった。小学生のとき、その瞬間をテレビで観た。「18番で右のファーストカットからピンそば50㎝くらいのところに池のラインから打っていって…メッチャ覚えています」と最終日の様子は目に焼き付いている。だから「信じられない。思ってもみなかった」と余韻が体を突き抜けた。
「プロのトーナメントで優勝したアマチュア選手はたくさん活躍されている。自分もそこに名前が入ってすごくうれしい」。すぐにでもプロ転向してツアーメンバーになれば、2021年末までの日本ツアーへのシード権を得られる。ただそこは最終目標では決してない。「もちろん松山選手と同じ舞台で…というか、世界一になりたいし、これからまた頑張っていかないといけない」。富士のふもとから再び、将来性に満ち満ちたチャンピオンが誕生した。(静岡県御殿場市/桂川洋一)