無観客の閉会式、国立競技場の外にあふれた人々
57年ぶりに開催された東京五輪は、17日間の全日程を終えて幕を閉じた。閉会式でオリンピック旗が、東京都の小池百合子知事からパリのアンヌ・イダルゴ市長に引き渡され、聖火が消え、国立競技場のスクリーンに「ARIGATO」の文字が映し出された。
コロナ禍のため無観客での開催となり、閉会式も報道陣や関係者など、限られた人々しか席を埋めていなかった。派手な演出もなく、祭りのあとの寂しい気持ちでスタジアムの外通路に出ると、正面マンションのガラス窓に無数の携帯ライトが左右に揺れて輝き、交通規制された眼下の道路には多くの群衆がひしめき合っているのが見えた。まるで、内側と外側の熱気が逆転したかのようだった。
個人的には「やっと終わった」という長い2週間の取材だったが、緊急事態宣言下で開催された今大会の受け止め方は、人それぞれ違うだろう。
霞ヶ関CCで開催されたゴルフ競技では、稲見萌寧が日本勢初の銀メダルを獲得した。その事実は歴史に刻まれ、今後も消えることはない。サンライズレッドのジャージに身を包み、表彰台で銀メダルを誇らしげに掲げる稲見の姿を、「萌寧ちゃん、かっこいい」という言葉とともにSNSで拡散する若者たち。彼や彼女の心には、その姿が“憧れ”としてしっかりと焼き付けられた。
メダルには届かなかったが、「マスターズ」チャンピオンとして、日本のエースとしての期待を一身に背負ってプレーした松山英樹。「結果で言うと残念だけど、素晴らしいものを見せてもらった」と丸山茂樹ヘッドコーチはいう。「みなさんもあの場で1mのパットをやってごらんって言われたら吐きそうでしょ?背負っているものがすごく大きいだけに、最後の締めに比重が来るのがヒシヒシと伝わるというか…。でも立派でした」。はたして、メダルの有無は、その行為の価値すら変えるのだろうか。
霞ヶ関CCの最寄り駅、JR川越線・笠幡駅の改札から徒歩5秒のところに、野口屋という昔ながらの定食屋がある。70歳を過ぎた先代も健在で、幼少期はまだ囲いのなかった霞ヶ関CCに入り込み、10番や18番ホール脇にある池で、魚を釣って遊んでいたという。1957年(昭和32年)10月に霞ヶ関CCで「カナダカップ(現ワールドカップ)」が開催されて、中村寅吉と小野光一が優勝した。その後、この地から数々のプロが生まれ、全国へ散っていったことを教えてくれた。
記録に残る歴史があり、記録に残らない歴史がある。星野陸也が開幕の第1打を放ち、畑岡奈紗が持てる力を振り絞った2021年の東京五輪。毎年やってくるメジャー大会や、4年に一度のオリンピック。だが、自国開催のオリンピックは、一生に一度あるかないかだ。無観客は現場の臨場感を奪ったが、ボランティアや大会スタッフ、ホテル従業員やコンビニ店員、はたまた一人の観戦者として、皆さんも何十年も語り継がれる瞬間に立ち会った。記録に残らない歴史こそ、これからも語り継いでいく必要があるだろう。(東京都新宿区/今岡涼太)
■ 今岡涼太(いまおかりょうた) プロフィール
1973年生まれ、射手座、O型。スポーツポータルサイトを運営していたIT会社勤務時代の05年からゴルフ取材を開始。06年6月にGDOへ転職。以来、国内男女、海外ツアーなどを広く取材。アマチュア視点を忘れないよう自身のプレーはほどほどに。目標は最年長エイジシュート。。ツイッター: @rimaoka