ドンファン 悲劇のヒーローとして舞い戻った男の笑顔
◇国内男子◇アジアパシフィック ダイヤモンドカップ 2日目(23日)◇茨木カンツリー倶楽部 西コース(大阪府)◇7320yd(パー70)
日本ツアーを数年来離れていた外国人選手が、ひときわ大きな声援を浴びていた。2012年シーズンを最後に、米ツアーに本格参戦した韓国出身のドンファン。主催者の推薦を受けて出場した今大会は、4年ぶりの日本での試合だった。
17歳で2004年「日本アマチュア選手権」を制したドンファンは、06年に日本でプロ入りし翌年に初優勝。09年から2年間は母国で兵役に就き、復帰した11年にツアー通算2勝目を飾ると、12年末に行われた米ツアーの最終予選会をトップ通過。太平洋を渡り、D.H.リーの登録名で本格参戦にこぎつけた。
初年度の13年はシード権を確保したものの、15年は主に下部ウェブドットコムツアーでプレーした。再びレギュラーツアーに昇格した今季は出場22試合のうち決勝ラウンドに進んだのが8回。幕切れは悲劇的だった。8月のレギュラーシーズン最終戦「ウィンダム選手権」。岩田寛らが現在出場中の、来季出場権をかけた入れ替え戦の出場資格はフェデックスポイントランキング126位から200位までの選手に付与される。ドンファンはランキング199位で同大会を迎えたが、シーズン14度目の予選落ちで201位に弾き出された。
米ツアーの厳しさは、分厚い選手層だとドンファンは指摘する。「例えば、日本だとどの試合でも予選を通過する(実力を持つ)60人くらいの選手に優勝のチャンスがある。でもアメリカは、試合に出場した全員、150人くらいに優勝する可能性がある気がします」。飛距離が足りないことも痛感し、今年はグリップから見直し、大幅なスイング改造に着手していた。
苦悩した今年の春、テキサス州ダラスにある自宅からフロリダ州ジャクソンビルまで1000マイルの道のりを自動車で走った。米ツアーの本部がある名門・TPCソーグラスから「自転車でも行ける距離」にアパートを借り、2カ月の間、当地を拠点にして猛練習に励んだ。
米国進出時からドンファンを特別目にかけてくれたのが偉大な先輩、チェ・キョンジュである。「チョイさんは初めてアメリカに来たとき、ジャクソンビルからスタートしたそうです。だから僕もアドバイスをもらって。『あそこは環境がすごくいい。一人で色々やってみるのもいい』って。最後は自分の考えで決めました」。効果をすぐにツアーで表現することはできなかったが、着実な進歩を感じているという。
日米両ツアーのシード権を失い、この秋は米下部ウェブドットコムツアーの2次予選会(3次が最終)、日本ツアーの3次予選会(4次が最終)に参加して、とにかく来季の職場を確保したい考えだ。
日本復帰戦となった今大会。この日は予選通過圏外から終盤17番で9mのパットを決めてバーディ。18番(パー5)では3Wでの2オンからイーグルを奪い、39位で決勝ラウンドに進んでみせた。「キャディさんの言葉が大きかったんです。17番でティショットを打った後『あきらめないで。チャンスはあるから』って」――
苦しみ抜いた米ツアーの今シーズンは、まったく無駄ではなかった。「スイングも、色々と変えることは怖いけれど、前に進まないといけない。未来はしっかり見えてきたと思う」。悲劇のヒーローとなっても、ドンファンは真っ直ぐで、明るい笑顔を見せてくれた。(大阪府茨木市/桂川洋一)
■ 桂川洋一(かつらがわよういち) プロフィール
1980年生まれ。生まれは岐阜。育ちは兵庫、東京、千葉。2011年にスポーツ新聞社を経てGDO入社。ふくらはぎが太いのは自慢でもなんでもないコンプレックス。出張の毎日ながら旅行用の歯磨き粉を最後まで使った試しがない。ツイッター: @yktrgw