ゴルフで鍛えた心臓 時松隆光が初勝利に王手
仲間からはいまだに「ゲンちゃん」と呼ばれる。本名を時松源蔵(ときまつ・げんぞう)という22歳は、2012年のオフに地元・福岡のお寺で頂いた時松隆光(りゅうこう)に登録名を変えた。「ダンロップ・スリクソン福島オープン」3日目にコースレコードタイの「63」を叩き出した時松は、後続に5打差をつける通算21アンダーまでスコアを伸ばし、ツアー初勝利へ大きく前進した。
「時松です。はじめまして」。今週のテレビ解説を務めるJGTO会長・青木功の呼びかけに、恐縮しきりで答えた。最終日に向け大量リードを手にしながら「経験させてもらうだけでもありがたい。“あわよくば”上位に行きたい」と話すと、世界のアオキから「半分はそういう気持ちかもしれないが、半分は『勝つんだ!』という気持ちでやりなさい」と愛のムチが飛んできた。
プロ5年目での栄冠は目前。今月初旬に下部ツアーで初優勝した勢いもあるにも関わらず、そんな慎重な口ぶりは3日間変わらない。「原因はわからないんですけど調子はいい。優勝は考えられません…5打差?ボギー・バーディが2回あったら1打差です(自分がボギー、後続の選手がバーディという状況が2ホールあったら4打縮まる)。差は考えずにやりたい」。ムービングデーを終えた今週のトーナメントリーダーはどこまでも控えめだった。
いかにも口下手な語りで威勢のいい言葉は聞こえにくいが、芯のある若者だ。小さいころから、コーチの教えでクラブをベースボールグリップで握る。右利きのゴルファーなら右手小指と左手人差し指を絡ませて握るのが一般的だが、野球のバットを持つ要領で手を合わせる。ジュニア時代、多くの先輩から“フツウのグリップ”に治すように指摘されたが、「けがも少ないし、フィーリングが出る」と頑としてスタイルを貫いてきた。
ゴルフを始めたきっかけは「健康のため」だった。自身の記憶にはないが、幼少期に心臓の一部に穴が開く病で入院し、手術を受けた。5歳でクラブを手にしたのは「空気の良いところで体を動かしてほしい」という父の思いから。「そのときは僕はプロゴルファーになろうなんて思わなかった」。年を重ねるごとに順調に回復し、運動も制限されることはなかったが、高校生のときまで検診が欠かせなかったという。
ナショナルチーム時代に同じ釜の飯を食べた川村昌弘は早くも「これはもうゲンの試合」と自分のことのように喜んでいる。だが、時松はどこまでも謙虚で実直な姿勢を崩さなかった。
「自分が思っている以上に上手く行き過ぎている。あしたはちょっと気を付けます。もちろん勝ちたいけれど、あまり考えない方がいいのかな。気負わずに行きたい」
シード獲得経験もない。ここまでの道は決して平坦でなかった。大敵は身の丈を見誤る過信。逃げ切りへカギを握るのは、ゴルフで鍛えたハートに他ならない。(福島県西郷村/桂川洋一)
■ 桂川洋一(かつらがわよういち) プロフィール
1980年生まれ。生まれは岐阜。育ちは兵庫、東京、千葉。2011年にスポーツ新聞社を経てGDO入社。ふくらはぎが太いのは自慢でもなんでもないコンプレックス。出張の毎日ながら旅行用の歯磨き粉を最後まで使った試しがない。ツイッター: @yktrgw