杉浦悠太は即プロ転向で副賞ゲット “日本一”の宮崎牛それぞれの行方
◇国内男子◇ダンロップフェニックストーナメント◇フェニックスCC(宮崎)◇7042yd(パー71)
「歴史」のはじまりは大相撲だったそうだ。「ダンロップフェニックス」の優勝副賞である宮崎牛が、プロスポーツの場で贈呈されるようになったのは1986年の九州場所。宮崎県知事賞として当時の優勝力士だった横綱・千代の富士に贈られ、以後プロ野球の巨人軍や、日本代表・侍ジャパンがキャンプで来県した際などに絶好のPR機会として登場する。
ダンロップフェニックスで採用されたのは2007年からで、イアン・ポールター(イングランド)が最初の受賞者になった。クラブハウスで牛丼をおかわりしたタイガー・ウッズはその2年前に連覇。ホテルのステーキハウスでも何度も舌鼓を打ったが、残念ながら1頭分の獲得には至らなかった。
1990年に海外への輸出が始まった宮崎牛はここ数年、“和牛オリンピック”と呼ばれる品評会で長らく王座についている。5年に一度開催される全国和牛能力共進会で昨年、4大会連続で最高賞の内閣総理大臣賞を獲得。日本のブランド牛をリードしている。
2016年、17年に勝ったブルックス・ケプカが、米国の自宅に冷凍庫を増やしたという逸話が残るギフト。ところで、「一頭分」はいかほどの大きさ、重さなのか。体重が700kg以上ある肉牛からとれる食肉(食べられる部分)は約300kg前後と言われている。宮崎県商工観光労働部内のスポーツツーリズム推進課によると、ダンロップフェニックス優勝者はそのうち、好みの部分をオーダー。ただし、発送の問題でホルモン等、NGの部位もある。
価格は時価(宮崎牛は市場でサーロインやロースなど1kgあたり軽く1万円を超える部位も…)で、ケプカは当時シャトーブリアンとヒレを注文。前年優勝の比嘉一貴、2019年の今平周吾らも家族内ではとても消費できず、お世話になっている方々に冷凍で発送した。
宮里優作(2015年)は約300kgを5kgずつ知人らに送り、残りは懇意にしている精肉店の冷凍庫で補完、常連客にも振る舞ってもらうようお願いした。「5kgでも結構大きいんです。そんなに大きな冷凍庫(のスペース)がある人はなかなかいないんだ」とうれしい悩みを抱え、すべて消費するのに半年ほどかかった。そこへくると、18年の市原弘大には頼もしいコネがあった。東北地方の水産加工業関連会社の関係者に、業務用冷凍庫の一部を借りて、招待客とのパーティなどに都度発送してもらっていた。
2014年の松山英樹が「これ、イイ話でしょう!」と披露したエピソード。その年の「フジサンケイクラシック」で悲願のツアー初優勝を挙げた東北福祉大OBの先輩・岩田寛の祝勝パーティが年末に行われた際、ディナーのメニューとして提供した。ちなみにダンロップフェニックスで、松山とのプレーオフで敗れたのは岩田である。
松山と宮崎牛との縁は「マスターズ」にも繋がり、22年のチャンピオンズディナーでは「Miyazaki Wagyu」として注目された。河野俊嗣知事も「宮崎牛を世界に向けてアピールする絶好の機会を頂いたということで、大変うれしく思っています。生産者の皆さまにもとっても励みになると考えています」と当時の定例会見で触れている。
記念の50回大会で史上初めてアマチュア王者が誕生した。杉浦悠太(日大)は規定により優勝賞金(4000万円)こそ獲得できなかったが、豪華な副賞を手にした。
日本ゴルフツアー機構(JGTO)の説明では、選手は各大会に出場登録(レジストレーション)をする際、プロか、または賞金が獲得できないアマかを明確にする必要がある。だが、副賞贈呈に関する規定はないため、試合後すぐにプロ転向を表明した杉浦にはメルセデス・ベンツ車、そして宮崎牛もプレゼント。プロゴルファーになって最初のごほうびは“日本一”。この先のキャリアもきっと明るい。(宮崎市/桂川洋一)
■ 桂川洋一(かつらがわよういち) プロフィール
1980年生まれ。生まれは岐阜。育ちは兵庫、東京、千葉。2011年にスポーツ新聞社を経てGDO入社。ふくらはぎが太いのは自慢でもなんでもないコンプレックス。出張の毎日ながら旅行用の歯磨き粉を最後まで使った試しがない。ツイッター: @yktrgw