2019年 マスターズ

ウッズが語った「史上最高のカムバック」はベン・ホーガン

2019/04/17 20:50
ウッズは力強く拳を握った(David CannonGetty Images)

神童からスポーツ界最高のスター選手へ。そして堕ちたアイドルから愛されるベテランへ。タイガー・ウッズのキャリアには、見たところそれらの全てがある。欠けていたのは11年間遠ざかっていたメジャー制覇であり、14年振りとなったグリーンジャケット獲得であり、忘れられない日曜日のみだった。

第83回「マスターズ」では、これら全てが現実のものとなり、ささやかなタッチで最後のパットを決めたウッズが歓喜の雄叫びを上げたとき、最も驚異的な復活劇の一つが完結した。

達成した彼自身はこれがゴルフ界、あるいはスポーツ界最高のカムバックだったとは言わないだろう。彼は、自動車事故で重傷を負ったベン・ホーガンの復活をそう評価したのだから。

しかしながら、4度にわたり背中の手術を受けたウッズによる10年以上の間を置いたメジャー制覇が、史上最高の復活劇だったのであれ、史上2番目だったのであれ、トップ10に入っていないのであれ、そんなことは単純にどうでもいいことなのである。

最も重要なのは、彼が本来いるべき場所に戻ってきたことだ。これからは、自動的に史上最高の選手という評価の与えられるジャック・ニクラスの持つメジャー18勝という最多記録の更新にフォーカスできるようになったのだ。

2017年に「マスターズ」開催前のチャンピオンズディナーでニクラスに「僕は終わった」と告げたウッズは、その夜のフライトでロンドンへと飛び、慢性的な背中のケガと、その後受けることになる脊椎固定手術について専門家の診断を受けた。

プロゴルファーとして大会に復帰したウッズは、彼が抱えていた身体的な苦悩の深さについて明かした。

「2年間ほどベッドで寝ていて、ほとんど何もできなかった」とウッズは、18人中9位に入った「ヒーローワールドチャレンジ」の大会前に述べた。

2018年にPGAツアーに復帰したウッズは復帰2大会目で予選落ちしたが、出場大会を増やしても十分に体調は整っていると感じ、その後すぐに結果を出し始めた。その最も顕著な例は残り8ホールで首位に立った「全英オープン」であり、2位に入った「全米プロゴルフ選手権」だった。

そういう意味では、9月のPGAツアー最終戦での勝利は驚きではなかったが、近年のウッズがかつての彼自身の影になったとみていた人にとって、そのときの彼のリアクションは十分理解できるにせよ、驚きだった(あるは仰天だったとさえ言えるかもしれない)。

2013年に5勝したウッズだったが、しばしば彼の顔を痛みでゆがめ、ときには大会からの棄権を強いた背中の負傷により、その後の4年間は24大会の出場にとどまった。

その状況は、誰もが知っている彼のキャリア序盤の物語とはかけ離れていた。

ウッズは1975年12月30日、カリフォルニア州サイプレスで、退役した米陸軍中佐のアール・ウッズとタイ生まれの妻クルチダの息子として誕生した。

エルドリックと命名されながら、アールによりベトナム人兵士の友人にちなんだタイガーというニックネームで呼ばれたウッズは、生後わずか6カ月で父親のスイングをまねし始めると、3歳の誕生日を迎える前にはテレビ番組でボブ・ホープとパッティングをし、その直後に9ホールを「48」で回っていた。

アマチュアでの成功をそのままプロでの栄光につなげたウッズは、1997年の「マスターズ」で12打差の優勝を遂げ、2000年の「全米オープン」を15打差で制覇するなど、圧倒的な強さで世界的なスーパースターとなった。

しかし、そんな華々しい隆盛があったからこそ、栄光からの転落も同様に壮観だった。2009年11月に起こした自動車事故は、結果的に不倫の告白へとつながり、ウッズはゴルフからの“無期限停止”へと至ったのである。

故に、何千万という彼のファンがその豊富な判断材料から今回の勝利に対し、史上最高のカムバックとのレッテルを貼りたがるかもしれない。それでも、このゲームの使徒の一人として、ウッズはホーガンが復帰してメジャー9勝のうちの6勝を挙げ、なかでも1953年にそのうち3勝を挙げた快挙がいかに大変であったかはもちろん、単に再び歩けるようになるのさえ大変な困難であったのを熟知しているのである。

ホーガンと妻のバレリーは、1949年に長距離バスと正面衝突する自動車事故から生還したが、当時36歳だったホーガンは骨盤を2カ所、ほかに鎖骨と左足首を折り、肋骨が欠けたほか、血栓による重傷を負った。

「最高のカムバックに関して言えば、僕は全てのスポーツの中で最高のカムバックを遂げたのはここでも優勝している紳士ミスター・ホーガンだと思う」とウッズは2018年の「マスターズ」を前に述べた。「と言うのも、彼はバスと衝突しながら復帰してメジャーを複数回制覇したんだよ」

「激しい痛みに耐え、単にゴルフをプレーするどころか、歩くだけでも大変だったのに、結局彼は36ホールを(1日で)歩いて『全米オープン』を制覇したんだ。それこそ最高のカムバックの一つであり、それはたまたま僕らのスポーツでのことだったんだ」

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