セベ、ホセ、セルヒオ メジャー制覇のガルシアがスペインの旗手を継承
セベ・バレステロス、そしてホセ・マリア・オラサバルからセルヒオ・ガルシアへ。ついに王の系譜は繋がれた。
メダイナで開催された1999年の「全米プロゴルフ選手権」で、スペインからやって来た青年は、木の背後からグリーンへ向けてショットを放つと、フェアウェイを駆け上がった。ガルシアは、語り種となったこの有名な瞬間から将来のメジャー王者と目されるようになった。その後、彼はじっと待ち続けた。
ガルシアがそれを実現したのは、シカゴでタイガー・ウッズに次ぐ2位に入った件の大会から、実にメジャー69大会後のことだった。ガルシアにとってアイドルだった故セベ・バレステロスが、生きていれば60歳になった2017年4月9日。ガルシアはジョージアの地で輝き、スペインはようやく新たなメジャー王者と新たなグリーンジャケットを手に入れた。
「セベの60歳の誕生日にやり遂げ、僕の人生においてずっとアイドルだった彼とオラサバルに並ぶことができたのは、ものすごく素晴らしいこと」とガルシア。「ホセは水曜の夜にメールをくれ、いかに彼が僕を信じてくれているかを教えてくれたんだ。そして、僕が何をすべきか、ということもね。 それで、自分自身を信じることができた」。
スペインでクラブプロをしていた父ビクターの入念な指導により、3歳でゴルフを始めたガルシアは、バレステロスがそうであったように、若い頃から才能を発揮した。わずか12歳でクラブ選手権を制覇した若きガルシアは、その4年後の1995年にバレンシアで開催された「地中海オープン」で、15歳46日で予選通過を果たし、ヨーロピアンツアーにおける最年少予選通過記録を更新した。
ガルシアは1998年に「全英アマチュア選手権」のタイトルを獲ったことで、初めて翌1999年の「マスターズ」に招待され、そこでバレステロス、そしてオラサバルと練習ラウンドをともにした。当時、すでに両人合わせて3着のグリーンジャケットを勝ち取っていた先人の知恵をガルシアは余すところなく吸収した。
その週、オラサバルはスペインに4着目のグリーンジャケットをもたらした。当時、ガルシアはオーガスタナショナルGCが自分にも、スペインの偉大な先人たちの足跡を辿り、メジャー王者の仲間入りを果たす機会を与えてくれると予期していた。しかし、2002年の8位、そしてその2年後の4位タイが「マスターズ」での最高成績となる中、1999年の予感は次第にしぼんでいった。しかし、ついに今年、オーガスタに安息の地を見出した。
2016年の勝者であるダニー・ウィレットからグリーンジャケットが手渡される前、ガルシアはバトラーズキャビンにて、「1999年にアマチュアとしてここへ来たとき、このコースは少なくとも僕にメジャーで1勝はさせてくれると感じたんだ」と語った。
「ただ、正直に言うと、その考えは時とともに少しずつ変わっていった。というのも、コースが居心地悪くなり始めたんだよ。でも、ここ3、4年はそうしたこととも折り合いがつくようになった。僕は、オーガスタが与えるものと奪うものを受け入れられるようになったんだ。今日ここに立っていられるのは、そのおかげだと思う」。
オーガスタに“居心地の悪さ”を感じていた期間、ガルシアは他のメジャーで大願成就に近づいた。1999年のメダイナでウッズに次ぐ2位に入ったガルシアは、その後、「全英オープン」ではプレーオフでパドレイグ・ハリントンに敗れた2007年と2014年、そして「全米プロゴルフ選手権」では2008年と、「マスターズ」以外のメジャーでは3度にわたり2位に入っており、「全米オープン」でもトップ10入りを5回果たしている。
メジャータイトルを逃し続ける一方、ガルシアは2008年に米PGAツアーの「プレーヤーズ選手権」を制し、同年「HSBCチャンピオンズ」を制覇するなど、世界の檜舞台で見事な勝利を遂げ、「ライダーカップ」では、かつてバレステロスとオラサバルがそうであったように、欧州きっての情熱的で恐れを知らない選手として、その名を知らしめた。
1999年、当時19歳だったガルシアは、最年少で「ライダーカップ」欧州代表に選出されると、その後は4大会連続して代表選手としてプレーするも、世界ランキングが下降していた2010年のウェールズ大会は副キャプテンとして参加。翌年から、再びヨーロピアンツアーで優勝し始めたガルシアは、オラサバルがキャプテンを務めた「ライダーカップ」で代表選手としての復帰を遂げた。
2人が手を携えたのは、1999年にガルシアがメジャーで初めてニアミスを体験した舞台であるメダイナだった。そして、2012年はバレステロスが闘病の末に他界した翌年であり、ガルシア、オラサバル、そして欧州チームは一体となってセベのファイティングスピリットを体現し、スポーツ史に残る最高の逆転勝利を実現した。運命というべきか、バレステロスの誕生日に、ガルシアは“メダイナの奇跡”を共に起したイングランドのジャスティン・ローズとの歴史に残る名勝負の末、メジャー初優勝を果たした。
2打追う状況で最終ラウンドの15番を迎えたガルシアは、今度こそ自分の番だと言わぬばかりに、同ホールでイーグルを奪い、ローズと並んでリーダーボードのトップに立った。最終日に15番でイーグルを奪って優勝した最後の選手は誰だったか?そう、1994年のオラサバルである。
72ホール目で勝利を決めるバーディパットを決め損なったことにより、ガルシアの優勝には危険信号が灯るも、親友でもある最終組の2人が再び18番ホールをプレーすると、ガルシアは自身の打った4メートルのバーディパットがカップの縁を回り込みながら吸い込まれるのを目の当たりにし、ついに幸せの絶頂に達した。
人として成熟した37歳のガルシアの労は報われた。これまでのメジャー73大会分のフラストレーションを一気に発散するかのような雄叫びを上げたガルシアは、オーガスタナショナルの神聖な芝生にひざまずくと、今後、残りの人生で毎年訪れることになる地に手を添えた。
グリーンジャケットに袖を通したガルシアは、3人目のスペイン人メンバーとして、最も入会の困難なクラブの仲間入りを果たした。オラサバルは今週、まさに効果てきめんとなった励ましの言葉をガルシアに送っている。
「彼はいくつかのことについて触れたのだけど、それが僕の胸を打ったんだ」とガルシア。「彼はね、『私は今、誰ともロッカーをシェアしていないから、君とシェアできることを願っている』と言ったんだ。だからみなさん、もしよければ、僕とホセを一緒のロッカーにしてもらえないだろうか。そうしてもらえたら最高だね。僕らは長年にわたり素晴らしい関係を築いてきた。スペイン出身の『マスターズ』王者として彼とセベの仲間入りができたのは、信じられないくらい素晴らしいことだね」。