全4回でお届けするGDOの2016年末のスペシャル対談。
Final Roundは主戦場のアメリカPGAツアーと、日本ツアーへの思いを口にします。ふたりとも、将来の夢を海の向こうに描いたのはプロ転向前の学生時代でした。その舞台が母国ツアーではなかった事実は何を意味するのか?海外へと羽ばたき、日本を代表するプロとなった今、それぞれ当時の夢に思いを馳せることがあります。日本ツアーへの期待が大きいからこそ、受け取り方によっては厳しく響く言葉も飛び出しました。2017年の戦いはもう間もなく始まります。最後に互いへの思いを語ってもらいました。

「緊張を通り越して楽しくなる」――松山英樹

―まず石川選手が米ツアー挑戦を志したのは中学生の頃でした。

石川:中学1年生の夏休み、フロリダ州のベイヒルクラブで行われたジュニア大会に招待されました(米ツアーのアーノルド・パーマー招待の会場。現在は石川のフロリダの自宅がある。松山の自宅も自動車で15分程度走ったところ)。高校生主体の試合だったとはいえ、海外の選手は単純に飛んで、バーディを量産するゴルフをしていた。父にはずっと「お前はコツコツ、ボギーを打たないゴルフを」って叩き込まれていたんだけど、日本に帰ったら「お父さん、おれ、もうボギーを打ってもいいからバーディを獲る!」って言って。親子で完全にシフトしました。ベイヒルが僕を変えたんです。

―松山選手が本格的に米ツアーを目指そうと考えたのは?

松山:僕はマスターズに行ってからですね(2011年に初出場でローアマチュア獲得)。オーガスタナショナルが衝撃だったというか…。「おれ、この舞台にもう一回来たい。また4日間、ここでプレーしたい。ここに来なきゃいけない!」って、すごく強く思いました。

石川:たまにさ、アメリカで最終日の最後の方にさびしくなるときがない?

松山:なるねえ…!おれ、今年リッキーとプレーオフをしたとき、そう思ったんだ(ウェイストマネジメントフェニックスオープンで4ホールにわたるプレーオフでファウラーを破った)。「このまま決着がつかないでほしい、ずっと続いてほしい」って。

石川:観ている方からすると、あれだけ難しいコースで、半端じゃない緊張感があるのにね。ハラハラして、パットも「よくそんなに強く打てるな!」とか思ってしまう。でも、本人は寂しさすら覚えてるんだ。

松山:緊張はずっとしてるよ。でもその緊張を通り越して、楽しいと思うようになる。楽しいから、この緊張感もずっと終わらないでほしいなって。あのときは会場の99.5%が敵だったんだけど(笑)

石川:英樹がバーディを獲ったときに、拍手じゃなくて、あああ…って(嘆く声が)。

松山:ヤバかった。バーディパットを入れ返したら「あああ」って。17番で追いついたときに「なんでUSAコールが出てくるんだよ」って思ってた(笑)

石川:あの感覚は日本ではないかもねえ。

【PGATOURと日本ツアーの比較表】

「米ツアーは夢のある見せ方をする」
――石川遼

―アメリカPGAツアーの賞金額はいまや世界随一。優勝賞金が1億円以上の大会ばかりです。

松山:もちろん、おれはPGAツアーのお金、賞金への魅力も感じる。でもそれ以上に、コースが楽しい。そして、あの選手層の中で勝ちたいって思う。とにかく移動がきついけど、その気持ちが強いかな。

石川:根本的には賞金ではないと思うんです。ただ、世界のトップクラスが出ている大会で、アメリカは賞金額以外に、試合の作りにお金をかけているところに「夢がある」といつも思う。高い賞金がかかる夢のあるスポーツを、夢のある見せ方をする。そこにすごくお金をかけている。ジュニアや選手も夢を見られるような、ツアーの取り組み方の素晴らしさを感じます。

松山:やっぱりいまもタイガー・ウッズの影響はデカいんですよ。それくらいのインパクトがある選手が、日本でも出てきたら…と思う。ただ正直言って、そういう選手を育てるのは今の日本のコース、セッティングでは難しいかな。

「短いものをどう見せるか」
――松山英樹

―アメリカPGAツアーのコースはまず「距離が長い」と言われます。

松山:そうですね。でも“短いものをどう見せるか”ということだと思うんですよ。ハーバータウンGL(4月のRBCヘリテージの会場/サウスカロライナ州/7099ydでパー71)なんか、僕は数字以上にすごく長く感じるんですよ。

石川:おれはそれが、あのコースをすごく好きなところ。

松山:2013年の全米オープン、メリオンGCも良い例でしょう。18ホールで7000yd切って(6996yd)パー70。試合前に優勝スコアは通算20アンダー近くいく、と言われたけど、結局通算1オーバーだった(ジャスティン・ローズ)。パー4でも500ydだったり、290ydだったり、たった100ydのパー3があったり。そういうバラエティに富んだ面白さが日本のコースには少ない。6900ydだったら、370ydのパー4ばかり、しかも何の変哲もないホールばかりというところも多い。だから「ただ短い」というだけの印象になる。

石川:短いホールを長く見せる方法はあると思う。土地によって、夏はこの風、冬はこの風が吹くというのがあるでしょう。アゲンストの風をうまく使えば540ydでも、2オンがなかなかできないイメージになる。逆に冬になると、フォローになるから止まらない、とか。ゴルフをそうやって変えることは日本でもできる。あとは、選手のタイプは様々だから、それぞれにオプションを設けてあげる。全員が全員、ティショットをフェアウェイに刻まなきゃいけないホールでは面白みがない。逆に300yd付近にハザードを作って「飛ばし過ぎると難しいですよ」というセッティングとか。

松山:僕らの意見を取り入れると日本ではゴルフ場の一般営業が難しいんだろうね…。営業をやっていけない。だからね、JGTO(日本ゴルフツアー機構)でもPGA(日本プロゴルフ協会)でも、どこか自由に改造できるゴルフ場を所有できないだろうか。ツアーを見せるためのコース。ギャラリーも観やすいコース。選手の意見をどんどん取り入れて、難しくしていくというのが理想じゃないかな。なんなら、そこで年間2、3試合やってもいいんじゃないか。

石川:それ、面白いねえ。ただ、1カ所だけでは“ツアー”にならないかもしれない。

松山:そうだね。まずはそういうコースをひとつ作ってみたいとは思う。

「試合で魅せることを大切に」
――松山英樹

―米ツアーと日本ツアーで違うと感じることはありますか。

松山:たとえば5試合のルール(欧米ツアーに進出した日本ツアーの選手が課せられる年間5試合の出場義務 / 規定改正により2017年から撤廃)。うーん…納得がいかないというか…。(岩田)寛さんは今年、このルールがあったがゆえに、実際ものすごく無茶なスケジュールを戦わなくてはいけなかったんですよね(編注:米→日→米の往復で9週連続出場。17週連続出場の可能性もあった)。それでは、選手を100%壊してしまう。この状況では特別なルールを作ってあげなきゃいけないのでは?と思った。選手側は出られない理由を明確にして、ツアーも選手をサポートすることも大事にしてほしい。

石川:日本では何かをやろうとするとき、「8割の人が、そうだよ、そうしたほうが良い」となっても、2割の反対の意見を気にしすぎてしまうんじゃないかな。多数決は51%の賛成があれば決まるものだけど…。ツアーだって、もちろん悪気があるわけじゃないし、選手に良い環境でやってもらいたいと思っているはず。でも「これをやると、こっちからの声が気になる」となって、話が進まないケースが多い気がする。100%の賛成の得ることって、なかなか難しいと思うんだけど。

松山:PGAツアーには、良い意味で“裁量”がある。試合前のプロアマ戦も、日米で結構違う。日本ツアーではプロアマ戦を欠場したり棄権したりすると、本戦には出られない。体調が悪かったり、ケガをしていても…。でもPGAツアーは理由が正当なら、風邪をひいたりして、途中でやめても(本戦が)欠場になることはない。試合に集中できるよね。

石川:おれもPGAツアーで、首が痛くてプロアマを休んだことがある。でも試合に出て、木曜日にホールアウトした後、10分くらいスポンサーさんとお話をしたり、写真を撮ったりして、プロアマをやめた“補てん”をしたんだ。そういう機転が利くというか…。もちろんプロアマは大切だし、出たい。でも、試合にベストのコンディションで臨むことと、プロアマどっちが大切なのかなって…。海外の試合に出た翌週の試合は、日本ツアーでは体力面を考えて、プロアマ戦をキャンセルできるルールがあるんだけど、例えばディフェンディングチャンピオンの場合は(1)絶対に出るか、(2)罰金100万円を払ってなおかつ本戦も出られない、その2つしか選択肢がないんだ。

松山:日本ツアーではいま、プロアマがすごく重視されていますよね。人気がある女子ツアーを見習うのは分かる。でもね、正直言って、一緒に回ることについて女子の魅力には男子は勝てないと思う。だって、女性と回ることは根本的に楽しいはずだから(笑)。日本で男子プロが前のティを使って、アマチュアの方と一緒の距離にするプロアマの試みも、女子ツアーにならったものだと思うけれど、選手はそれで試合のための一打の練習ができない。「試合で魅せること」ことを大切にしたいし、PGAツアーはそうしてくれている。

石川:選手側としても、アメリカでやるプレーヤーがもっと多くなるといい。英樹が日本オープンに出てくれて、あれだけの人が集まった(4日間で大会歴代2位の計4万5257人)。海外で活躍する選手が日本に帰って試合に出れば、盛り上がることはみんなが分かった。そういった選手が5人、10人と増えていけば、ひとりの選手に5試合も出させる必要がないんですよ。いまは悪循環。おれも含めて、選手は技術のレベルを上げる必要があるし、レベルが上がった選手はアメリカで、どんどん海外に行ける環境になれば好循環になるのでは。「海外で活躍して日本を盛り上げたい」という気持ちを、ツアー側がその場しのぎのルールで止めてしまうのは残念。

「フィルはすごい」
――松山英樹

―日本オープンでは松山選手がラウンド後、数千人にサインをしました。ファンサービスへの意識はPGAツアーで変わりましたか?

松山:おれはフィル(ミケルソン)が、やっぱりすごいって思う。

石川:あれは、“あり得ない”ね。すごすぎる。あれはすごい。

松山:どんなラウンドの後にも、必ずたくさんの人にサインをする。ツアーの人気選手がそれをやる。だからすごいんです。

石川:フィルはボールにはサインをしないんだよね。ボールってサインを書きづらいから時間がかかるでしょう。たぶん、たくさんの人にしたいからじゃないかな。

松山:あれを見ていたら、おれもやらないといけないなって思うよね。

石川:何十人にも「サインをください」って言われる。あの景色がかっこいい。そうなりたいと思う。いまの英樹のサインは、すごい価値があるし、それをたくさんの人に求められることが価値を物語っている。でも、あれだけのファンにずっとサインするというのはすごいよ。

松山:途中で終われないというのもあるけどね(笑)。どうしても、時間がなくて、できないときは本当に心苦しいんだけど…。途中で切り上げると、サインを貰えなかったファンの人が目の前に必ずひとり出てくるでしょう? あのときはキツイね…。

「次回は東京で」
――松山英樹

「死にもの狂いに」
――石川遼

―ISPSハンダ ワールドカップでは初めてコンビを組みました。

松山:年齢に関して言えば、逆にずれていた方が、1つ、2つ違う方がラクだったかもしれないとも思うんですよ。気の遣い方も最初は違っただろうから。でもね、ずれていたら、同い年じゃなかったら、こんな風に毎日一緒にいられる仲にもなっていなかったかもしれない。

石川:英樹の活躍に刺激を受けるのは、同い年、同学年で、小さいころに会っていたから。チームを作るにも、年が違うだけで、また全然違ったかもしれない。

―次にこういった対談の機会があるとしたら…?

松山:次?東京オリンピックのときくらいですかね(笑)。東京には興味がすごくあります。リオデジャネイロ五輪は欠場したけれど…東京だったら、個人戦だろうが団体戦だろうが関係ない。出たいと思う。でも団体戦の方が絶対盛り上がる。

石川:他の競技みたいにゴルフも個人と団体があってもいい。その中でも団体戦はぜひやりたいなあ。

松山:団体戦は男女混合でもいいと思うな。4日間、男女で会場を別にしてやるのもありじゃん。

石川:うん、東京は特別だね。

松山:東京でゴルフをやったら、日本も変わると思うんだ。

―最後に。改めて松山英樹にとっての石川遼、石川遼にとっての松山英樹はどういった存在ですか

松山:おれは中学1年生のときに会った遼の衝撃が、いまでも覚えているくらいすごかった。高校に入って、遼が優勝して、またその衝撃が大きくなった。自分にインパクトを与えてくれる人というのは、同じ日本人で、しかも同学年で、そうそういるものじゃない。すごい、と今でも素直に思える。

石川:おれはやっぱり…ここ数年自分のゴルフに一番足りないものを、英樹が教えてくれている気がして。自分に足りなくて英樹にあるものがはっきりしていて、その強さを世界で証明してくれていることに感謝します。特にこの2年くらい、追いついて、追い越したい、という気にさせてもらってる。ワールドカップも英樹が声をかけてくれなかったら出られなかった。本当にうれしかった。だからこれから、本当に死にもの狂いにならないといけないなって。

松山:恥ずかしいな。何を、言わせてんすか!(笑)

(完)

聞き手・構成/桂川洋一
撮影/田辺安啓(JJ)

ARCHIVE

PROFILE

松山英樹
Hideki Matsuyama(24)

1992/02/25 愛媛県生まれ
4歳でゴルフを始め、中学2年で愛媛から高知・明徳義塾中に転入。明徳義塾高を経て東北福祉大に進学する。2011年の「マスターズ」でローアマチュアに輝き、プロ転向1年目の13年に日本ツアー賞金王戴冠。14年の「ザ・メモリアルトーナメント」で日本人史上4人目の米ツアー初勝利を飾った。日本ツアー8勝、米ツアー3勝。

石川遼
Ryo Ishikawa(25)

1991/09/17  埼玉県生まれ
東京・杉並学院高入学直後の2007年5月、日本ツアー「マンシングウェアオープンKSBカップ」を制し、15歳245日の史上最年少優勝記録を樹立。“ハニカミ王子”旋風は社会現象になった。現役高校生プロとして09年に日本ツアー最年少となる18歳で賞金王を戴冠。13年に主戦場を米ツアーに移した。日本ツアー14勝。       

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