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ウィンダム選手権
期間:08/18~08/21  場所: セッジフィールドCC(ノースカロライナ州)

<選手名鑑210>ジム・フューリック(前編)

PGAツアー史上最少スコア「58」を記録したフューリック

■ 記憶と記録の8月7日 42歳の「3000本」 46歳の「58」

2016年8月7日は、2人のベテラン選手が偉業達成という凄い日だった。西部コロラド州でマーリンズのイチロー選手(42)がメジャー史上30人目の3000本安打を達成。東部コネチカット州では、ジム・フューリックがPGAツアー史上最少スコア「58」を記録した。奇しくも同日に記録達成した2人のイメージが重なった。イチロー選手は26歳でメジャーへ、フューリックは下部ツアーを経て24歳でPGAツアー入りと、決して早いスタートではなかった。だが40歳を過ぎ、同世代の選手が次々にパワーダウンする中、2人は歳を重ねるごとに輝きを増し、異彩を放つ特別の存在であり続ける。グレーヘアや目尻のシワ、静かに喜びをかみしめる表情に、長年続けてきたひたむきな努力と信念、生き様がにじんでいる。

フューリックはトラベラーズ選手権の最終日、8時41分、快晴、微風の中ティオフした。2番でバーディを奪った後、3番では137ydの第2打をPWで直接決めイーグル。6番から12番までを7連続バーディ。16番(パー3)でも5mのバーディを決め「58」の可能性が浮上。それどころか「57」も見える異次元のプレーだった。地元ハートフォード大学卒で、19回目の出場だったジェリー・ケリー(49)が、モニターに映るフューリックのプレーを見て「凄いことが起こる」と直感。自分のスタート時間13時までに30分以上余裕があったので、18番グリーンに向かった。決めれば「57」というパットは惜しくも決まらなかったものの、1977年から約40年間で6人しか達成していない「59」という記録を破る衝撃のスコア「58」を目の当たりにし、興奮を抑えられなかった。「前半27、後半31。信じられない。59かも?と駆けつけたら58!自分もやってやる!と思いスタートした」。彼は同日6アンダーでプレーし、優勝したラッセル・ノックスに1打差の単独2位で終えて、50歳での来季シードを確定させた。ケリーは「年々難しくなっているPGAツアーのコース設定で50台のスコアは考えられない。まして58は奇跡」と脱帽。選手たちも次々に祝福メッセージを発信し、「Mr.58」と彼を称えた。

■ 3年前の「59」がもたらした「58」

フューリックは史上6人しかいない「59」記録保持者のひとりだ。2013年9月、イリノイ州コンウェイファームGCで行われたBMW選手権2日目に「59」をマーク。1イーグル、11バーディ、1ボギーの12アンダー。前半31、後半28の「59」だった。同大会は最終日を首位で迎えたが、ザック・ジョンソンに逆転負けを喫し、優勝につなげることができなかった。今回の「58」も結果は5位タイで優勝こそ逃したが、スーパープレーができたのは「59の経験が役立った」と語っている。「50台のスコアが見えてくると、猛烈なプレッシャーがかかることがわかっていた。59を出しているので、58でなければとポジティブに挑んだから」と振り返った。

フューリックは今年5月12日に46歳を迎えた。40歳半ばの選手はチャンピオンズツアーまでひと休み、また負傷で離脱する選手も少なくない。「59」を塗り替える選手が46歳のフューリックというのは驚きだった。ツアー記録外での「58」は2000年6月に丸山茂樹が全米オープン予選会で、2010年5月の中日クラウンズ最終日に、当時18歳の石川遼が達成しギネス記録となった。フューリックが達成する前週の下部ツアーで、ドイツのスティーブン・イェーガー(27)が、大会初日に「58」をマーク。2013年7月には、ケンタッキー州で開催の米ミニツアー2日目に、ジェス・マッシー(25)が、パー72のコースでウルトラスコアの「56」をマークしている。PGAツアー史上最少の「58」は当面、破られることはないだろうが、「57」の可能性もゼロではない雰囲気も感じられる。

■ 左手首骨挫傷 10カ月間の離脱を経て

「58」の記録に驚いたもうひとつの理由は、負傷明けだったことだ。昨年9月、プレーオフシリーズ第3戦のBMW選手権初日、6番ホールで左手首を痛め棄権。ニューヨークの主治医アンドリュー・ウィーランド医師のもとへ直行した。検査の結果は骨挫傷。骨のミクロの損傷で痛みを発症し、なかなか痛みがとれず10カ月もの期間をリハビリに充て、復帰したのは5月のウェルズファーゴ選手権からだった。手首の負傷、試合勘、年齢を考慮すれば決して安易ではなく、復帰戦では予選落ち。ところが6月の全米オープンを2位タイで終える躍動で、自信を回復しガッツも湧いてきた。7月のカナディアンオープンでは13位。同月末の全米プロ選手権ではショットが乱れ73位タイに終わり、コーチでもある父と録画を見ながらスイングのマイナーチェンジを行った。とはいうものの、復帰からわずか3カ月での「58」は本人さえも予想できなかった出来事。「アメイジング!」と連呼したが、But True。喜びと感謝をこめ「5万8千ドル」をALS研究基金に寄付した。

■ 宿命のライバル フィル・ミケルソン

フューリックが燃え続けているのは宿命のライバル、フィル・ミケルソンがいるからだ。フューリックはアリゾナ大学、ミケルソンはアリゾナ州立大学出身で、両校は伝統的なライバル校。アリゾナ大学は公立校で1885年に創立。ハーバードなど東の名門校の集まりアイビーリーグに対し、西海岸の名門公立大学パブリック・アイビーの1校だ。スポーツ部の名は“ワイルドキャッツ”でアニカ・ソレンスタムロレーナ・オチョアらも同校ゴルフ部出身だ。アリゾナ州立大学も同年に創立され、アリゾナ大学に並ぶ同州の名門で、スポーツチーム名は“サンデビルズ”。数多くの五輪メダリスト輩出校としても知られる。

フューリックとミケルソンは70年生まれの同じ歳。フューリックは、全米アマ、全米学生選手権優勝などアマチュア最高峰のタイトルを次々に奪取するスターのミケルソンに勝つことが目標だった。91年フューリックが住んでいた同州ツーソン開催のPGAツアー、ノーザンテレコムオープンで衝撃的なことが起こった。当時、大学3年のミケルソンがプロを抑え優勝した。一気に大差をつけられたフューリックの心にライバル心が燃え上がった。ミケルソンは翌年卒業し、プロ転向。と同時に、シード選手として華々しくPGAツアーデビューを飾った。一方、フューリックは下部ツアーを経て、1年遅れでPGAツアーのメンバー入りを果たした。ミケルソンは今年ツアー25年目で42勝。マスターズ、全英オープン、全米プロに勝利し、あと全米オープンに優勝すれば史上6人目のグランドスラムの達成、世界殿堂にも選出され、トッププロ街道を歩んできた。

フューリックは17勝。03年の全米オープン優勝、10年には年間王者に輝いた。今季は負傷から復活した選手を称えるペイン・スチュワート賞を受賞。素晴らしい実績を残しながらも、心中は穏やかではなかった。フューリックは負傷から復帰8試合目の全英オープンで59位タイと不本意な結果に終わった。ライバルのミケルソンはヘンリック・ステンソンとの激闘で2位。「58」はその3週間後に記録された。ミケルソンからの刺激もその遠因か。互いを知って約30年、お互いがポテンシャルを引き出してきたとしたら、ライバルの存在の大きさを改めて感じる。

佐渡充高(さどみつたか)
ゴルフジャーナリスト。1957年生まれ。上智大学卒。大学時代はゴルフ部に所属しキャプテンを務める。3、4年生の時に太平洋クラブマスターズで当時4年連続賞金王に輝いたトム・ワトソンのキャディーを務める。東京中日スポーツ新聞社を経て85年に渡米、ニューヨークを拠点に世界のゴルフを取材。米国ゴルフ記者協会会員、ゴルフマガジン「世界トップ100コース」選考委員会国際評議委員。元世界ゴルフ殿堂選考委員。91年からNHK米ゴルフツアー放送ゴルフ解説者。現在は日本を拠点に世界のゴルフを取材、講演などに飛び回る。

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