「マスターズ」の由来

伝説のアマチュアゴルファー“球聖”ボビー・ジョーンズと、投資家のクリフォード・ロバーツが1934年3月に「オーガスタナショナル インビテーショナル トーナメント」として初開催。39年に大会名を「マスターズ」に改称した。ジョーンズは当初、ロバーツらの提案で世界の“マスター”を集めるという名称について恐縮し、変更を拒んでいたらしい。

厳格なメンバーシップ

オーガスタナショナルGCは厳格な会員制クラブ。政財界の重鎮など約300人が名を連ねるリストが表に出ることはない。大会期間中に着用を義務付けられているグリーンジャケットこそがその証だ。長らく排他的でもあり、初めて黒人が入会したのは1990年。女性は2012年に元国務長官のコンドリーザ・ライス氏、金融家のダーラ・ムーア氏を受け入れた。マスターズの優勝者は名誉会員として迎えられる。

グリーンジャケット

優勝者が羽織るグリーンジャケットはすべてのゴルファーの憧れ。ホールアウト後のテレビインタビューと表彰式で、前年度の優勝者に着せてもらう瞬間を誰もが夢見る。ディフェンディングチャンピオンはこの儀式のため、予選落ちしても最終日まで残るのが慣習。ちなみに3日目を終えて好位置にいる選手は大会からサイズを聞かれることも。以前は大会期間中に上位選手がサイズを聞かれていたが、最近は出場選手が現地到着時に伝える。

チャンピオンズディナー

優勝者には翌年大会以降の出場権が半永久的に付与される。毎年の開幕前の恒例行事がクラブハウスで行われる晩餐会チャンピオンズディナー。グリーンジャケット姿の歴代王者たちが一堂に会し、夕食をともにする。前年前回大会の勝者がメニューを決めるのが習わしで、その選手の郷土料理や好物が並ぶ。アジアにもルーツがあるタイガー・ウッズは寿司や刺身を出したことも。松山英樹は宮崎牛などを振る舞った。

アーメンコーナー

11番、12番、13番は試合の鍵を握る3ホール。コースの南側の角にあり、その難しさから神に祈る(アーメン)気持ちでプレーするという「アーメンコーナー」の異名を持つ。1958年にスポーツ・イラストレイテッド誌の記者がジャズの「Shoutin' in that Amen Corner」という曲から名付けた。

3つの橋

コースにかかる橋のうち3つには伝説的選手の名前がついている。12番にあるのが1953年に当時の最少スコア(274)を記録したベン・ホーガンに由来するホーガンブリッジ。13番ティそばのネルソンブリッジは1937年に大逆転優勝したバイロン・ネルソンから名付けられた。15番の橋は1935年に同ホールでアルバトロスを達成したジーン・サラゼンを称えたもの。

日本人選手の記録

日本人選手は第3回の1936年大会で初めてオーガスタの地に立った。陳清水と戸田藤一郎がアジア勢として初出場。以来多くの選手が挑戦し、最多出場は尾崎将司の19回。松山英樹は2011年にアジア人初のローアマチュア賞を獲得。10回目の出場となった2021年に初優勝、日本人男子として初のメジャー制覇を達成した。

パー3コンテスト

開幕前日の恒例行事のひとつがパー3コンテスト。本戦会場に隣接する、パー3だけで構成される9ホールのすべてがパー3の専用コースで行われる。大会出場選手やレジェンドが参加し、家族やガールフレンドをキャディに据えたり、実際にショットを任せたりするシーンが華やかさを演出。ちなみに優勝者はその年の本戦で勝てないというジンクスがある。

オーガスタナショナル女子アマチュア

トップ女子アマが集う大会として2019年にスタート。世界アマチュアランキング上位者など約70人が招待され、54ホールのストロークプレーで争われる。近郊コースでの予選36ホールを上位通過した30人が、オーガスタナショナルGCでの決勝18ホールをプレー。第2回大会となった21年、当時高校3年生だった梶谷翼が優勝。23年は10人の日本勢が参加し、馬場咲希が5位に入った。

ドライブ、チップ&パット選手権

2013年に始まったジュニアゴルファーのイベント。7歳から15歳までの男女が、年齢と性別ごとに、通常のスコアではなく、ロングショット、チッピング(アプローチショット)、パッティングの技術を点数化して競う。全米予選を勝ち抜いた選手による決勝大会が、マスターズ前週の日曜日にオーガスタナショナルGCで開催され、コース内の練習場と18番ホールのグリーンが舞台になる。