ジャンボ尾崎が貫く「見る眼」「聞く耳」を持つ姿勢
「週刊ゴルフダイジェスト」連載「ゴルフのヒント」(3月5日号)より
先日の「ジャパンゴルフフェア」で新しいクラブ契約の発表を行い、「今年のキャッチフレーズは“常在青春”」と今季もレギュラーツアーでの優勝を目指して戦うことをファンの前で宣言した尾崎将司。66歳の大ベテランは、今年も意気軒昂だ。
そんな尾崎が、1973年(昭和48年)に日本オープンに惜敗したのエピソードを紹介しよう。彼は当時26歳。その時代としてはまだ珍しいビデオデッキを購入した。自分のスウィングをチェックし、次なる大会に備えるためだ。
映像を確認することで、ショットが不安定だった理由が、フィニッシュで体重が右に残っていることだとすぐに発見した尾崎。しかし、その対策が見出だせないまま翌々週の太平洋マスターズ開幕の日を迎える。
海外からB・クランペット、D・サンダース、B・キャスパーら大物プレーヤーが大挙参戦してくるこの試合に、尾崎は並々ならぬ闘志を燃やしていた。だが、スウィングに不安を残したままの初日……。尾崎将司は22位と大きく出遅れた。トップに立ったのは同組でラウンドしたB・ヤンシー(米)だった。
ホールアウト後、ヤンシーが尾崎についてこんなコメントを漏らした。「素晴らしい飛距離の持ち主だね。だけど、右ひざの送りと腰のひねりが少し足りないような気がするよ」
ヤンシーのこの一言は、尾崎のモヤモヤを晴らすのに必要にして十分だった。
残りの3日、尾崎は右ひざをしっかり送り、腰を十分回転させてスウィングし、フィニッシュで右にウェートが残るという課題を完全に克服した。
結果は、3日間トップを走り続けたヤンシーを大逆転しての勝利。
スウィングに悩んでいるとき、開眼させてくれる契機はいたるところにある。たとえば、ビデオで撮影したおのれの姿、ふと漏らした敵の一言。それらを貪欲に、しかもすかさず吸収して結果を出した尾崎。今季クラブを一新して挑戦を続けることも、その姿勢になんら変わりがないことを示している、と言えるだろう。