2022年 AIG女子オープン(全英女子)

ジュニア時代の戦友 フォン・シャンシャンの現役引退に寄せて<LPGA選手名鑑>

2022/08/11 11:00
フォン・シャンシャンは今夏に引退を正式に発表した ※撮影は2021年「東京五輪」

渋野日向子選手が優勝争いを演じた「AIG女子オープン」(全英女子)の直前、アジアを代表するLPGAプレーヤーが現役生活にピリオドを打ちました。中国のフォン・シャンシャン選手は2019年までにツアー通算10勝(メジャー1勝)をマークしたほか、2016年の「リオデジャネイロ五輪」では銅メダルを獲得しました。実は私、片平光紀にとってはジュニア時代からの仲間のひとりでもあるのです。

■練習時間も短い天才肌

2012年にメジャーで米女子ツアー初優勝を飾った

フォン・シャンシャン Shanshan Feng
◆生年月日 1989年8月5日
◆出身 中国・広州
◆ルーキーイヤー 2008年

広州のゴルフ協会で幹部を務めていた父の影響でゴルフを始めたフォン選手は、高校時代に渡米しました。17歳のときに出場した中国でのジュニア大会で、プロコーチのゲーリー・ギルクリスト氏の目に留まり、サウスカロライナ州ヒルトンヘッドのIJGA(インターナショナルジュニアゴルフアカデミー)の奨学生としてのオファーをもらいました。

IJGA高校の同期生になった私たちは一緒に練習したり、ご飯を食べたりして学生時代を過ごした仲でした。最初はお互い英語を話せず、ジェスチャーでコミュニケーションを取る毎日。“外国人”のスタートはそんな苦労があるのですが、彼女はゴルフの成長はもとより、英会話もすぐに上達し、明るい性格で頭もよく、冗談も言ってみんなを笑わせるようなグループの中心メンバーでした。

それでいて、「プロゴルファーになる」という目標が当時から明確で、練習をダラダラとやることもなく、短い時間で効率よく練習していたのが印象に残っています。ギルクリスト氏も「彼女は天才肌で、教えたことをすぐに実践できる。『もっと練習しなさい』と言いたいけれど、すぐにできるから何も言えないんだ」と苦笑いしていたほどです。

■「10年で現役を引退する」プランの行方

朴仁妃、リディア・コーとともに2016年にはリオデジャネイロ五輪のメダリストになった

アマチュアとして出場した2007年末のQスクール(予選会)を9位で通過し、翌2008年にLPGAツアーにフル参戦。ゴルフ始めた頃のアイドルはカリー・ウェブ選手(オーストラリア)だったといいます。プレッシャーがかかる場面でも落ち着いていて、優勝を逃しても最後まで自信を持って、堂々とプレーするさまに憧れていました。ルーキーの時に一緒にプレーする機会があり、「子どもの頃のアイドルとプレーできてうれしいです」と伝えると、ウェブ選手からは「私のことをおばさんって言いたいの?」とジョークで返され、さらに好きになったそうです。

2011年に日本ツアー「meijiカップ」で初優勝を挙げるなど年間2勝をマーク。そして2012年「ウェグマンズLPGA選手権」(現KPMG全米女子プロ選手権)でメジャー初勝利。LPGAツアーで初めてタイトルを手にした中国人選手になり、世界ランキング1位にも到達しました。

メジャータイトルは結局この1つでしたが、2013年に米ツアーで2勝を挙げるなどその後も世界中で優勝を重ねました。実はフォン選手にはプロ転向してから「10年ツアーで戦ってリタイアする」というプランがありました。ただ、その考えを変えさせたのが五輪。リオで銅メダルを獲得したことで、金メダルを獲りたい気持ちが湧き、「東京」を目指すことにしたのです。

コロナ禍で東京五輪が1年延期されたことで現役生活は延長されました。本来であれば中国開催の米ツアー大会で引退発表をするつもりでしたが、残念ながら今年も中止になったため、今回のタイミングでの幕引きを選びました。

■現役時代から後人育成

多くの選手から慕われていた ※撮影は2016年TOTOジャパンクラシック

ラウンド中に使用するグローブを使い分ける(ショット用と、少しきつめのパッティング用)など独特のスタイルを持っていたフォン選手。優勝した自分へのごほうびは、高級バッグとおいしいご飯を食べることでした。

また他選手と一線を画すのが、若くしてジュニア育成にも積極的だったことです。シーズン中も中国に帰り、ジュニア育成のプログラムを考案したり、実際に指導したりと精力的に活動していました。2015年にはギルクリスト氏とジュニア大会をつくり、2017年には自身のアカデミーを立ち上げ。IJGAで経験したことを中国のジュニアにも届けたいと考え、技術面、精神面、フィットネス、栄養学を学べるシステムを導入しました。

今ではLPGAツアーを戦うリウ・ユリン・シユ、米下部ツアー大会を17歳で制したイン・シアオウェンといった後人のメンター(指導・相談役)も務めています。

メディアを相手にした会見でも軽快なジョークで報道陣をいつも笑わせていた姿が忘れられません。リオからメダルを持ち帰った際、習近平・国家主席に会ったそうで「(メダリスト)一人ひとりと面会したとき、『国家主席はなんてハンサムなんでしょう!』と話したら、みんなは2秒間だった握手が、私は4秒間もできたの」と話していました。

コロナ禍で復帰したときには、中断中の過ごし方を問われ「朝、起きて、朝ごはんに何を食べるか考えて、朝ごはんを食べ終わったら、昼ごはんに何を食べようか考えて、昼食の後には夕食のメニューを考えていた」と説明し、爆笑を呼んでいました。

本当におつかれさまでした、と労いの気持ちでいっぱいです。コースの外でも多くの選手のお手本と言える、ビジネスウーマンとしての第2の人生はこれからです。

2022年 AIG女子オープン(全英女子)