2017年 ザ・メモリアルトーナメント

<選手名鑑240・番外編>「最終回」佐渡充高

2017/05/31 13:00

■ジェントルマンのPGAツアーとは対極の下部ツアー

日本の皆さんに米国ゴルフの情報をお伝えする仕事がどうにか軌道に乗り始めた頃、29歳の誕生日を前に一大決心をした。「最後のチャンス。ツアーに挑戦したい。仕事を休み西海岸で猛練習する」と妻に宣言。数カ月の特訓を終えてNYCに戻り、プロに転向すると、ホーガンツアー(現ウェブドットコムツアー)やカナダツアーのQスクールやマンデートーナメントにトライし始めた。この話を知った日本人記者の方から「紙面でスポンサーを募集するから頑張れ!」などと激励を受け、いざ、試合へ!

だが、そこはジェントルマンのPGAツアーとは対極の世界だった。商売に成功し、金のアクセサリーをどっさり身につけた黒人選手、生活費のすべてを経費に充て必勝体制で臨む夫婦。当時の下部ツアーは選手の数だけ濃厚なエピソードがあり、時に修羅場だった。同組だった選手が1打ごとに歓喜と絶叫を繰り返してなかなか先に進めず、この時キャディをしてくれていた妻を唖然とさせたこともあった。カナダではジャック・ニクラスの長男ジャッキーと2度も遭遇。ホーガンツアーのQスクールではジョニー・ミラーの息子がキャディを従え、母親と数十人のグルーピー(ギャル)の熱い視線を浴びながら練習ラウンドしていた。

息苦しいほどの環境でプレーし、PGAツアーまで這い上がるのは並大抵ではないと知った。1年半ほど過ぎた頃、ひじと手首の腱鞘炎が再発。米国でツアープロとして生きていくことの難しさ、大変さを痛感した貴重な経験となった。

■おにぎりとカップ麺で欧州へGo!

2シーズンもがいた末にアマチュアに戻り、欧州はNYCから近いので、次の目標を「各地のゴルフ場巡り」に定めた。夏季のオフはイングランド、スコットランドを中心に欧州へ。1日3コースをプレーするため、運転しながら食べられる2食分のおにぎりとカップ麺、クラブと着替えが旅支度。南米、豪州へも出かけて行った。米国内ではいろいろな伝手で、メンバーが白人男性オンリーという秘密クラブ的な非公開コースまでプレー。ゴルフ日誌で総数1000コースを突破した。

NHKのPGAツアー中継が始まってからは毎週、現地とNYCを往復する生活となったが、それに加えてこのゴルフ旅もあったため、まるで飛行機やホテルが我が家のような状態。USGA勤務の友人が主催する「ゴルフ夢中度を競う会」のメンバーになり、米ゴルフマガジン誌にも紹介されたのだった。

■「無事に帰宅」の幸運

ふだん海外で戦っているからこそ強まる「日本」への思い。選手の思いをこれからも伝えていきたい ※撮影は2016年「ISPSハンダ ゴルフW杯」

転戦生活で想定外の出来事に遭遇するのは避けられない。2001年9月10日、貿易センタービル近くのレストランでイェスパー・パーネビックと朝食を共にし、そのまま空港からミズーリ州セントルイスの世界選手権会場へ向かった。翌11日の同じ時間帯、同時多発テロで貿易センタービルは倒壊。レストランは全壊した。飛行機は全便欠航。パーネビックは震えながら車でフロリダの自宅へ向かったという。セントルイスを車で発った私は、3人交代で運転し続け、2泊3日でNYCに帰宅。再会した妻と二人、しばらく互いに言葉がでなかった。

ある試合では、停めていた車が目前で暴走トラックに押し潰され、LAでは車で渡ったばかりの橋が地震で崩壊したこともある。渋滞で乗り遅れた飛行機が墜落…など紙一重の経験が何度もあった。選手もしかり。選手たちは毎週、美しいコース、華やかな雰囲気でプレーしているが、無事に転戦というのは決して当たり前のことではない。「コースや芝、同組選手だけでなく気候、食事、移動など、あらゆる変化に対応し、生活環境と運にも恵まれなければトッププロにはなれない」と心の底から思う。

印象的だったのは、アリゾナ州ツーソンで阪神淡路大震災を知った1995年のことだ。CNNのニュースを見たビリー・アンドレードが駆け寄ってきて、両肩に手を置き。「家族は大丈夫? 帰国しなくていいのか?」。多くの選手は自分のことのように案じ、次々に言葉をかけてくれ、心にしみた。選手はスピーチで必ず“Thank you”と何度も口にする。自分の努力だけで活躍はなく活躍の舞台さえも整わない、と理解しているからであり、この頃から「PGAツアーは“Thank youの連鎖”で成り立っている」と伝えるようになった。

■離れているからこそ、近い日本

体当たりで積み重ねてきた経験から、PGAツアーについて強く思っていることがある。「松山英樹石川遼らがPGAツアーでプレーするのは世界最高峰ということだけが理由ではない」ということだ。熾烈なライバルは最高の友。選手のほとんどが、世界の壁に突き当たり、熱いハートに触れ、自分もそうでありたいと願い、成長している。PGAツアーはそういう場所。帰郷してホッとしても、すぐに戻りたくなる。ツアーは戦場の楽園だから。

日本から遠く離れてはいても、彼らの思いはファンのすぐ近くにある。日本にいるときに“私は日本人”と言うことは、まずないが、国外では日本人であることを強く意識せざるを得ない。日本にいる時よりも強く日本を思う。選手の表情や言葉からは、毎週が五輪代表のごとく日本人の誇りを抱き、日本のファンの思いを感じ、プレーしていることが手に取るように伝わってくる。応援こそ最高の力になるはずだ。私はこれからも日本人選手の躍動を楽しみ、自分の思いも乗せ、精一杯のエールを贈り続ける。

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