<選手名鑑174>ハロルド・バーナーIII
■ いよいよ新シーズン開幕! マキロイらトップランカーも出場
今週から15-16年シーズンが開幕する。フライズドットコムオープンの舞台は、昨季と同じワインの産地で有名なカリフォルニア州ナパにあるシルバラードCCノースコースだ。今年は出場選手の顔ぶれに大きな変化がある。多くのトップランカーや欧州選手は休養に充てたり、欧州ツアーに出場するため年内開催のPGAツアーの試合にはあまり参加してこなかったが、今年は雰囲気が激変しそうだ。
北アイルランドのロリー・マキロイ(26)は早い段階で参加を表明。世界ランク1位への返り咲きや、初のPGAツアー年間王者に向け開幕からスタートダッシュを狙う。日本から参加予定の松山英樹(23)はツアー2勝目と、世界選手権シリーズでの初優勝へ向け、さらなる飛躍が期待される。土壇場でシード権維持に成功した石川遼(24)の初優勝、今季から初参加の岩田寛(34)のプレーも楽しみだ。
■ パイオニアたちの遺産
今週はWeb.comツアー出身初のアフリカ系米国人選手ハロルド・バーナーIII(25)に注目したい。振り返れば2015年は黒人選手のパイオニアたちが次々に天国へ旅立ち、入れ替わるようにバーナーがツアーに登場した。
2月3日、人種のバリアを打破し、PGAツアーで初めてプレーした黒人選手チャーリー・シフォードが92歳で他界。04年に黒人選手初の世界ゴルフ殿堂入り、07年にはオールド・トム・モリス賞を授賞した。また大統領自由勲章を、スティービー・ワンダー、メリル・ストリープら19人の授賞者のひとりに選出され、昨年11月にバラク・オバマ大統領が正式に発表した。その日から、わずか2か月余での訃報。キャディ経験からゴルフに出会い、わずか4年でプロ転向。だが、黒人選手のゴルフ環境はアマチュアもプロも極めて困難な時代だった。彼の誠実な人柄から多くの支援を得て、1960年PGAツアーは「白人限定」という条件を撤廃、彼は39歳にして出場資格を獲得した。人種の壁を突破しレギュラーツアーとチャンピオンズで各2勝。2勝目となったノーザントラストオープン(旧LAオープン)はシフォードに敬意を表し、09年から黒人選手の特別推薦出場枠を設け、14年はバーナーが選ばれた。シフォードのレガシーを受け継ぎ、渾身のプレーを見せて予選通過を果たし、70位タイでフィニッシュした。
5月1日にはピート・ブラウンが80歳で他界した。シフォードがPGAツアーのメンバーになった3年後にツアー入りし、翌年に優勝。ツアーで初めて優勝を飾った黒人選手となった。その6年後にも優勝を飾って通算2勝。引退後はオハイオ州のゴルフ場ヘッドプロとして活躍していた。
8月29日には、85年のザ・プレーヤーズ選手権優勝、ライダーカップ米国メンバーとしても活躍したカルビン・ピートが71歳で他界。32歳でPGAツアー入りし、3年後の初優勝から勝利を重ねること12勝。タイガー・ウッズの出現まで、最も成功した黒人選手だった。幼少時に左肘を骨折した影響で腕をまっすぐ伸ばすことができず、独特のスイングだったが、猛練習により正確無比のショットで次々に勝利を飾った。特に82年は27試合に出場し、予選通過22回で4勝を挙げた。クレイグ・スタドラーやトム・ワトソンらと凌ぎを削り賞金ランク4位、名実ともにトッププロとなった。今季ジョーダン・スピースが授賞したバードン・トロフィー(年間最小スコア)を、彼は83年に70.561で授賞するなど、数々の金字塔を打ち立てた。
彼らの戦いは人種によるプレーの制限に対してだけではなかった。同じように差別と闘うマイノリティの団体や組織からも圧力をかけられることもあった。「ジョージア州の州旗に、かつて差別を行っていた軍の紋章が使われているため、同州の試合をボイコットすべき」と要求されるなど、時に命の危険さえ感じながらも、ゴルフを愛し、ひたすら勇敢にプレーを続けて道を切り開いてきた。レジェンドたちのレガシーは、選手以外へも拡がりをみせている。PGAツアーは98年からマイノリティの学生対象に、ゴルフのあらゆる職業体験(インターンシップ・プログラム)をスタートし、今ではツアーのあらゆるポジションで活躍中だ。
今年はレジェンドたちの相次ぐ訃報に接し、改めて偉大さを思い起こした。ツアーの人種撤廃から55年、彼らが目指した人種、国籍を問わず、実力で勝負できる土壌は整いつつある。バーナーの活躍、そして彼に続く選手たちが「マイノリティ」という特別な存在でなくなる日が来ることを切に願う。
■ 943ドル差でつかんだシード権
8月30日、バーナーの最初の夢が叶った。PGAツアーのシード権を僅差でつかんだのだ。ウェブドットコムツアーのシーズン最終戦「ポートランドオープン」終了時点の賞金ランク上位25位までが、翌季のPGAツアーの出場権を獲得する。バーナーはボーダー上のランク25位で同大会に挑んだ。予選落ちすれば26位以下になり夢は消える。何とか予選を通過して、上位を狙うことが次の目標になった。47位タイで迎えた最終日は1ストローク伸ばすにとどまり、通算2アンダーで終了した。最終順位は47位タイで、獲得賞金は2340ドル。賞金ランクはなんとか25位の維持に成功した。終わってみれば26位との差はわずか943ドルで、ギリギリのシード権獲得だった。「両親がものすごく喜んでくれた。父と母とこの喜びを分かち合いたい」と涙をこぼした。
■ VarnerのティショットはBurner(燃焼装置)のごとく
バーナーは1980年8月15日、世界的なタイヤ産業で知られるオハイオ州アクロンで生まれた。6歳の頃にノースカロライナ州へ転居し地元の高校へ進学。07、08年には同州のアマチュア選手権で2年連続2位に入るなど、頭角を現し始め、地元のイースト・カロライナ大学に進学した。身長175センチ、体重75キロと小柄ながら、飛距離を生かして他を圧倒するプレーはバーナー(燃焼装置)のごとく。
プロになってからはさらに進化し、昨季の平均飛距離は313.8ヤードで、ウェブドットコムツアーでランク8位。コース難度は異なるものの、この飛距離をPGAツアーに置き換えるとジェイソン・デイを上回り、3位に相当する。最長飛距離は392ヤードを記録。標高が高く飛距離のでやすいユタ州での記録とはいえ、かなりのパワーヒッターだ。PGAツアーでもバーニング(強烈)なティショットをみせることだろう。
パーオン率も72%でランク19位、ショットの全体の巧さを表すボールストライキングもランク18位と、なかなかのショットメーカーでもある。ポテンシャルを最大限に発揮し、ルーキーイヤーはどんなプレーを見せてくれるのか楽しみだ。