<佐渡充高の選手名鑑 114>ロバート・ガリガス
■ ド迫力ショット+極短パターで異彩を放つ
ロバート・ガリガス(36)は2009年、2010年と、2年連続で平均飛距離310ヤードを超えツアー1位に立ち、3年連続1位を狙うバッバ・ワトソンの連覇を阻んだ選手だ。毎年、平均飛距離では上位に名を連ね、現在も軽く300ヤードでランク7位のパワーヒッターだ。昨年の「マスターズ」でも平均304.4ヤードでフィールド1位だった。昨年の「全英オープン」では15番448ヤードのパー4で、1オンに成功するなど数々のビッグドライブのエピソードがある。豪打とは対照的に、ツアーで最短の短尺パターを使っていた選手でもある。そのギャップが余りにも激しくゴルフファンの関心を惹くところだ。その短尺パターは28インチと短く「Mini-Me」と命名するほど気に入り大切にしていた。ところが3年ほど前に「Dr.Devil」と名づけた47インチの長尺パターで登場。その1年後には35インチのレギュラーサイズのパターに変え、彼のゴルフは驚きの連続だ。
■ 祖父の教え 「力一杯に振り抜け!」
1977年、米国北西部ロッキー山脈のアイダホ州に生まれ、父親トムはメキシコ五輪シューティング競技の銀メダリストだ。その後、父はビール製造業を営んだが、米国五輪選手育成コーチに就任し、コロラド州へ赴任。両親は離婚し、彼は母親リンダの故郷、オレゴン州へ転居した。その頃、母方の祖父チェットからゴルフを一緒にしようとクラブを手にしたのがきっかけとなり、ゴルフに無心に取り組んだ。この祖父のアドバイスが、今のゴルフの原点である「力一杯に振り抜け!」だった。
■ 成長期にわからなかったADD(注意欠陥障害)
オレゴンでトップアマになったが、笑顔の少ない少年だった。勉強に集中しきれず成績が悪く奨学金での進学を断念。ガリガスはADD(注意欠陥障害)があったが、両親は成長期にまったく気がつかず、感情や行動にしばしば疑問を感じさせ、彼が辿ってきた道程にも影響があったと思われる。この障害の影響がプラスになる例もある。発明家のトーマス・エジソンやケネディ大統領もADDで個性的な閃き、独創的な感性を生かし、偉業を成し遂げたと言われている。水泳の金メダリスト、マイケル・フェルプスも子供の頃にADDと診断され、その個性を生かし驚異の八冠を達成。引退後はゴルフに夢中で、一昨年10月には欧州ツアーのプロアマ戦で46メートルのミラクルパットを決め歓喜。その感性と閃きに驚かされた。しかし、ガリガスは自分らしさを発揮するまで紆余曲折を辿った。
母は2つの仕事をこなし懸命に家計を支える状況で、彼はアリゾナ州のゴルフ場でアルバイトをしながら学費負担の少ない大学へ進学。2年後に学費の一部負担という条件でアダム・スコットやチャーリー・ホフマンらの母校で知られるネバダ大学ラスベガス校への転学が叶った。しかしガリガスは馴染めず、すぐに退学し19歳でプロ転向。ミニツアーで賞金を稼ぐ生活をはじめた。
■ 酒とマリファナから生還 そしてチャンピオンへ
プロゴルファーになっても現実は厳しく、学生時代に覚えた酒とマリファナに依存するようになっていったガリガス。コカインやLSDなどのハードドラッグに手は出さなかったが、後に「下部ツアー時代に試合中でもマリファナを吸引したことがある」と衝撃告白で周囲を騒然とさせた。一日に20回以上も吸っていた時期もあったというが、ある日の試合中、自身の異変に恐怖を覚え、カリフォルニア州のリハビリセンターに自ら駆け込んだ。45日間の入院治療で、すべてを体から排出。無事にツアーに復帰したが、後遺症は想像以上にきつく、記憶力の低下、妄想、幻覚、喉や鼻、肺、心臓の不調、免疫力低下とあらゆる影響が懸念された。
後遺症に苦しみながらもシード権を獲得。優勝のチャンスも何度か巡ってきたが、トップに立つと異常な緊張感で思い通りに体が動かなくなっていた。2010年「フェデックス セントジュードクラシック」最終日、最終ホールを3打差の首位で迎えた。ダブルボギーでも優勝という断然有利な状況だったが、彼はとんでもないミスで池に打ち込みトリプルボギー。プレーオフに持ち込まれ、初優勝を棒に振った。しかしその年の最終戦「チルドレンズ ミラクル ネットワーク クラシック」最終日、首位のローランド・サッチャーに5打差発進、8アンダーの「64」でプレーし大逆転勝利!初優勝の分厚い壁を突破した。その後も優勝争いを展開し、プレーオフで負けること2回、通算3回の敗北を喫している。悔しい思いをしているが、2勝目は近いと感じさせる素晴らしいプレーを続けている。ガリガスはリハビリ中に出会ったエイミ夫人と、二人の子供に恵まれ幸せな家庭を築いた。ちなみに極短パターMini-Meは今、子供たちの玩具として活躍しているそうだ。