<佐渡充高の選手名鑑 107>ニコラス・コルサーツ
■ 目指せ!ゴルフ界のジャン=クロード・ヴァン・ダム
ニコラス・コルサーツ(31)は西ヨーロッパのベルギー王国出身、PGAツアーでただ一人、孤軍奮闘の選手だ。ベルギーといえば、僕はビール、チョコレート、ワッフル、自転車競技を思い浮かべる。モトクロスはグランプリ発祥の地として知られ、世界選手権開催は50回を超える。サッカーもベルギー代表はFIFAワールドカップに11回参加の強豪だ。しかし、ゴルフは人気スポーツではなく競技人口は約5万人、ゴルフ場の数も50コース、プロの試合も隣国オランダとの共同開催も含め、年間15試合程度しかない。ゴルフ環境に恵まれていないせいか、著名選手はドナルド・スワーレンス、フィリップ・トーセント、女子ではフローレンス・デスカンピらで、ワールドクラスの選手はいなかった。そこに彗星のごとく浮上したのがコルサーツだ。ハンサムなルックス、社交的な性格、ド迫力の飛距離、彼の際立つ個性は、スター選手の雰囲気が漂い、目指せ!ゴルフ版のジャン=クロード・ヴァン・ダム(俳優・ベルギー出身)!と思ってしまう。
■ 欧州ツアー飛距離NO.1
コルサーツの魅力は何と言っても超飛距離だ。身長188センチ、体重78キロと、スラリとした細身で、一見、パワーヒッターには見えない。そのギャップがまた彼の魅力でもある。スイングも「飛ばすぞ!」というより、あまりにもスムースで炸裂ショットには見えない。しかし、聞いてみると打音が違うのだ。「シュッ!」というスピード感に溢れるサウンド。中弾道であっという間にはるか遠くへ飛んで行っている。2012年欧州ツアー平均飛距離は318ヤードでランク1位。同年のボルボ・チャンピオンズ開催コースでは、その年の最長飛距離419ヤードも記録している。同組だったアーニー・エルスは彼のショットを見て「違うジップコード(郵便番号)に住んでいる」と表現。個人コーチであるミシェル・ファンミアビク(元プロゴルファーで母国ナショナルチームのコーチ)は、コルサーツが8歳の頃から「ありったけの思いを込めてハードに打て」と指導。猛練習で自身のスイングを作り、今ではバッバ・ワトソンを凌ぐ飛距離、タイガー・ウッズを凌ぐヘッドスピードという別世界、別次元のショットを身につけた。
■ 曽祖父はオリンピアン
1982年11月14日、ベルギーのブラッセル近郊で、アスリートファミリーの家庭に育った。曽祖父は1920年、母国アントワープ開催のオリンピックで水球の代表選手、父親はフィールドホッケーの選手で、母国のトップリーグで25年間活躍した。ニコラスは16歳までは5種目のスポーツを経験し、どの競技でもトップクラスの手腕を発揮。18歳の時にフィールドホッケーとゴルフに絞り込み、最終的にはズバ抜けた才能を発揮したゴルフを選択した。2000年11月、18歳でプロに転向。2016年のリオ五輪からゴルフが競技に復活するとあって、ニコラスはコルサーツ家から2人目のオリンピアンとして代表選手になることを熱望している。
■ プロ転向から10年半 一気に欧州ツアー2勝、ライダーカップメンバーへ
初優勝は2011年ボルボ中国オープンと10年半もの月日を要したが、翌2012年にはボルボ世界マッチプレー選手権で2勝目。決勝で全米オープン優勝者グレーム・マクドウェルを1アップで下す快挙だった。メジャーでは同年ロイヤルリザムで開催の全英オープン初日、風速35マイルの強風の中を1アンダーでプレーし暫定首位。最終結果は7位タイとメジャー初のトップテンフィニッシュを果たした。その年の秋には、ベルギー人初のライダーカップメンバーとなった。キャプテンのホセ・マリア・オラサバルが彼の実力を評価してメンバーに指名、その期待に応え欧州チームに貢献した。初日トップでウッズとストリッカー組を下すなど、大活躍で欧州チーム大逆転劇の先鋒の役目を果たした。昨年から米PGAツアーのメンバーとしてフル参戦しているコルサーツ。1月末、難コースのトーレパインズGCで開催された試合で、スクランブリングがフィールド1位(76.67%)と、飛距離だけではないゲームの冴えが随所に現れはじめた。技術を磨き、経験を積んだ10年半の成果を次々にビッグステージで生かそうとしている。